最近、また、自由について考えることがあった。自由とは、不自由でないことで思考停止になっていた。どちらかと言えば、内的側面にばかり思考が行っていた気がする。
この前、中野信子とジェーンスーの2人の共著を読んだ時、「奢られたくないは支配されたくないのだよ」という文言を見て、自由と支配の関係を考えるにいたった。外的側面から言えば、「自由≒不自由でない状態≒支配されていない状態」という見方がようやく思考対象として形作られた。
「おごられる」ことは相手の支配を受け入れること
スー 美人から離れて、「おごられ」問題に話をちょっと戻すね。「女はおごってもらって当然」という女性もいれば、「女はおごってもらえるからラッキーだよな」と見る男性もいる。でも、おごられるって、場合によっては自己決定権を手放すことですからね。
中野 ・・・・・・。でも、私自身はおごられることはそう好きなほうじゃない。ちょっと気が重い。
それってなぜだろうとじっくり考えてみたんだけど、結局はさっきスーさんが言ってた「自己決定権を手放すことにつながりかねないから」なんだよね。おごられることと受け入れるのは相手の支配を受けてもよいというサインになることがある。
この話になんだか共感してしまった。おごられることを受け入れることは、なんだか対等な関係ではなくなる気がして、家族以外では、おごってもらった回数よりも、おごってもらうことを断った回数の方が多い気もしない。目上の人間を対等な関係として目下の人間が扱うのは、傍から見ればおかしいのかもしれないが、ものすごく対等な関係へのこだわりがある。それは、恐らく、支配への危機感があったのだと考えられる。
自由を感じるときはないかもしれないが、自由を考えてしまうのは、支配を感じ取っているのだと思う。支配を感じるにあたって良い指標は、「尊重はどこにいった」である。こうやって問い始めると思考をある程度制御する必要があります。尊重されてると思っていいのかという行為認定を吹っ飛ばして「いつ尊重されたかと」とか、「自分は尊重しているはずなのに、相手はあまり尊重していない」とか考えはじめると心がすさむので気をつけた方がいい。(こういう相手の行為と自分の行為を反芻的に振り返ったり、将来予測をすることを過激適応といいます。)
freedomを「~からの自由」と訳すならば、そもそも「何からの自由か」を問う必要があった。私としては、それは外的側面から言えば支配からの自由ではないかと思う。「自由≒不自由でない状態≒支配されていない状態」というので、出てくるのは、マックス・ウェバーの伝統的支配、合法的支配、カリスマ的支配である。ところで、支配を真っ向から否定しようとすると、良い支配の形態もあるだろう反論したくなる。その反論時に、どのような支配であれば正当化されるか、そもそもどのような支配があるのか、という問いに発展し、マックス・ウェバーの支配の形態までいきつくことができる。
フランス革命による、近代への移行、近現代の理念、民主主義、資本主義、自由、平等を理解するにあたり、支配は欠かせないキーワードと推定される。(本当に今更だが)
自由とは何かを考えるに至ったのは、もしかしたら、支配への危機感が働いていたからかもしれない。となれば、支配に敏感であることは、現代人に欠かせない素質な気すらしてくる。言論の自由、表現の自由、報道の自由等々、最低限憲法に定められた自由がなぜ重要なのかは、言論の自由を支配によって制限することは許さない、と解せばわかる気もしてくる。「なぜ支配によって言論の自由が制限されなければならないのか」と問い直してみると違和感がよくわかるのではなかろうか。
ここまで来ると、支配、政治、自由権、自由までつながげられ、社会の成り立ちを理解するためのキーワードたちが大分導けてきた。
さて、安心を実現するために秩序を維持する必要があり、秩序を維持するために支配という手段があるわけだ。安心のために秩序を維持には支配という手段があるわけだが、人には自由がある。支配があっても自由である状態とはどのようなものか、どのような支配が我々の自由を制限するのか考え、どのような支配なら納得し受け入れるのか、実のところ我々はどのような支配を受け入れたことになっているのか、既存、新規にしろなぜその支配を受け入れなくてはならないのか、を問いただす必要がある。
支配に何があると危険なのかも考えなくてはならない。そこまで考えると、支配者と
軍が分かれていることの重要性がわかってくるし、軍の反乱がどれだけ危険なのかもわかる。
近くしずらくなってはいるが、支配を知覚できなければ自由を侵食されかねない。日常会話で支配という言葉は、あまり使わない。しかし、自由なはずである我々現代人が自由であるためには、少なくとも支配という言葉を忘れず、知覚センサーを常に研ぎ澄ましておく必要がありそうだ。
以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。