自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

社会が老後の資産形成の有無を自己責任とするための条件


 評価が出たレポートを公開したいと思います。引用・参考文献の内藤準の論文はかなりお勧めです。自由を考えるうえで、私が説明したフリーライダー問題についてふれつつ、それだけじゃない、むしろウェイトは後ろの方があるといった感じの論文でいいですよ。論文の紹介はこの辺にして、社会が老後の資産形成の有無を自己責任とするための条件についての書いたレポートを載せます。

社会が老後の資産形成の有無を自己責任とするための条件

序論 本レポートの内容

 金融庁の金融審議会市場ワーキング・グループ報告書である「高齢社会における資産形成・管理」¹が 2019 年に 6 月3日に公表され、メディアでは年金 2000 万円問題、老後 2000万円問題などのフレーズで報道された。それにより、人々が真剣に人生 100 年時代のマネープランを考えるきっかけとなった。
 現在社会では自己責任論が流布しており、年金以外の老後の資産形成の有無も自己責任として取り扱われるのは間違いないだろう。しかしながら、社会が老後の資産形成の有無を自己責任とするためには条件がある。「ある人たちの自由が十分でないなら、彼/女らの責任を問う前に、彼/女らに十分な自由を保障する状況を整備しなければならない」²というのが自由と責任のルールである。そのため、資産形成の有無を自己責任とするための条件が二つあると考える。まず、最低賃金でフルタイムで働いた場合でも、現実的な予算で日常生活がおくれ、かつエアコンなどの生活必需品を買うためのまとまったお金を貯蓄でき、老後の資産形成に回せるぐらい余剰がでることが一つ目の条件である。なぜなら、自由に使えるお金がない人に老後の資産形成の有無を自己責任とすることはできないからである。お金の使い方は個人差があり、保険、社会制度を網羅的に把握し現在この条件を満たしているか、否かは明確に判断できないためこのレポートでは言及しない。二つ目の条件は、老後の資産形成ができる自由があったといえるだけの金融リテラシー、もしくは金融ケイパビリティを人々が身に着けていることを社会が最低限保障することである。結論としては、2022 年度から資産形成の授業が高校の家庭科に組み込まれるが、裏を返せば現時点で資産形成の授業が高校の家庭科には組み込まれていないことがうかがえる。さらに、金融広報中央委員会の金融リテラシー調査の結果によれば、学校・家庭での金融教育を受ける機会は半数以上がないという調査結果がでており、老後の資産形成ができる自由が人々にあると保証しているとはいえない。
 しかし、仮に一つ目の条件が満たしていたとしても、二つ目の条件が満たしていなければ老後の資産形成ができる自由があったとは言えない。そのため、社会が老後の資産形成の有無を自己責任とするためには二つの条件の両方を満たしていなければならない。

 このレポートでは、本論第一節で自由と責任のルールを内藤の「自由と自己責任に基づく秩序の綻びー「自由と責任の制度」再考―」を踏まえ、社会が老後の資産形成の有無を自己責任と主張するための条件を述べる。次に、老後の資産形成ができるだけの自由が人々にあると保証するだけの金融教育の実施がされていないことについて述べる。

本論 老後の資産形成ができる自由は十分にあるのか

第一節 自由と責任のルール、老後の資産形成の有無を自己責任とするための条件

 現在社会では自己責任論が流布しており、年金以外の老後の資産形成の有無も自己責任として取り扱われるのは間違いないだろう。第一節では、社会が老後の資産形成の有無を自己責任とするための条件を述べる前に、どのような条件が整っていれば責任を負わせていいのか定義を明確化する。
 その条件は内藤(2009)の論文を踏襲する。

自由なら責任があるというルール自体は常識に組み込まれており、誰もが基本的に受け入れているものだ。にもかかわらずそのルールに基づく秩序に疑いが生ずるのなら、どこかに綻びがあるはずだ。では、どこにその綻びがあるのだろうか。これまでの分析によると、リベラリズムの秩序の正当化は、(a)自由と責任の言語的ルールの下で、(b)人びとに十分な自由を与えれば、それだけで成立する。(a)の部分は疑えないとすると、疑いが生じうるのは(b)の部分でしかない。つまり、綻びの可能性は「社会が人びとに、責任を負うのに十分な程度の自由を保障しているか否か」にある。この社会には責任を負うのに不十分な自由しかないと認識されたとき、リベラリズムの制度による秩序の正当性から信憑性が失われることになるのだ。³

 要点をまとめれば、ある人々の自由が十分でなければ、ある人々に責任を負わせることはできないということである。

 内藤(2009)の論文を踏まえ、老後の資産形成に当てはめると、ある人々に老後の資産形成をする自由が十分でなければ、ある人々に老後の資産形成の有無の責任を負わせることはできないということになる。
 社会が人々に老後の資産形成をする自由があるといい、その有無を自己責任と主張するためには同時に満たすべき二つの条件が考えられる。まず、最低賃金でフルタイムで働いた場合でも、現実的な予算で日常生活がおくれ、かつエアコンなどの生活必需品を買うためのまとまったお金の貯蓄ができ、老後の資産形成に回せるぐらいの余剰がでることが一つ目の条件である。なぜなら、自由に使えるお金がない人に老後の資産形成の有無を自己責任とすることはできないからである。
 二つ目の条件は、老後の資産形成ができる自由があったといえるだけの金融リテラシー、もしくは金融ケイパビリティを人々が身に着けていることを社会が最低限保証することである。自由に使えるだけのお金があ
ったとしても、その使い方を知らなければ老後の資産形成はできず、老後の資産形成ができる自由があったとはいえないからである。自由にできるお金がなければ老後の資産形成はできず、かといってお金があっても知識と能力がなければ老後の資産形成はできないため、この二つの条件は同時に満たしていなければならない。

第二節 老後の資産形成ができるだけの知識と能力の保証はできるのか

 老後の資産形成をするのに十分な程度の金融リテラシー、もしくは金融ケイパビリティを育むような教育を社会が人々に与えているといえるのかについて言及する。教育は学校教育、家庭内教育に大別されるが、社会が老後の資産形成を人々に与えているかを保証するためには学校教育、とりわけ義務教育の時点で金融リテラシー、金融ケイパビリティを育むような教育を実施していると主張しなくてはならない。

f:id:Independent-research:20210731215610p:plain

図 1:金融教育の経験(学校等) 、図2:金融教育の経験(家庭)


 実際のところ、金融広報中央委員会が行った金融リテラシー調査 2019 年調査結果によれば、図1,2⁴のとおり学校教等における金融教育の経験は 75.0%が「受ける機会はなかった」とアンケート調査で回答した。また、家庭における金融教育でも 62.3%が「教わる機会はなかった」と回答した。学校教育で教えるべきこともあるが、学校教育にすべての教育を任せるのではなく家庭内教育も行うことが大切である。しかし、家庭での金融教育の経験が少ないことから、金融教育は家庭で行うべきという考えは最善ではない。
 次に、学校等において老後の資産形成ができるような教育がなされているのかについて触れる。「2022 年度から始まる高校の新学習指導要領は、家計管理などを教える家庭科の授業で「資産形成」の視点に触れるよう規定した。」⁵ということだが、裏を返せば 2021 年度までの学習指導要領には「資産形成」の視点に触れるような規定はなかったということになる。資産形成にあたる金融教育が実施されている、いたとはいえない。
 つまり、社会が人々に老後の資産形成をする自由があるといえるほどの金融リテラシー、もしくは金融ケイパビリティを育むような教育を与えているとは言い難い。したがって、老後の資産形成ができる自由が人々にあると主張することはできないため、社会が人々の老後の資産形成の有無を自己責任とすることはできないという結論にいたる。

結論  人々に老後の資産形成ができる自由があるとは言い難い

 第一節では、ある人々の自由が十分でなければ、ある人々に責任を負わせることはできないという内藤(2009)の主張をもとに、社会が老後の資産形成の有無を自己責任とする主張するための条件を考えた。一つ目は、最低賃金でも現実的な予算で日常生活が送れ、特別費用の貯蓄ができ、老後の資産形成にまわせること。二つ目は、お金があったときに老後の資産形成ができるだけの知識、能力を身に着けていることだと述べ、社会が老後の資産形成の有無を自己責任と主張するためには両方の条件を同時に満たしている必要があると述べた。
 第二節では、一つ目の条件が満たされているかについては言及せず、二つ目の条件が満さているかについて、金融広報中央委員会が行った金融リテラシー調査 2019 年調査結果の金融教育の経験、2022 年度から高校の家庭科の授業において資産形成の視点が触れられることをもとに条件が満たされていないという結論にいたった。
 したがって、老後の資産形成ができる自由が人々にあると主張することはできないため、社会が人々の老後の資産形成の有無を自己責任とすることはできないという結論にいたる。
 しかしながら、どの段階でどのような金融教育が行われれば人々に金融リテラシー、もしくは金融ケイパビリティがあると保証できるかについては言及できなかったため今後の課題とする。また、最低賃金の額を老後の資産形成も踏まえて設定すべきかどうかは議論の余地があることは認識しており、社会が老後の資産形成の有無を自己責任とするための条件の厳密な設定も今後の課題としたい。

 

【脚注】

¹⁾ 金融審議会市場ワーキング・グループ,2019,「報告書―高齢社会における資産形成・管理―」,(2021 年 7 月 28 日取得,https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20190603/01.pdf).
²⁾ 内藤準,2009,「自由と自己責任に基づく秩序の綻び―『自由と責任の制度』再考―」『理論と方法』24(2):170.

³⁾ 内藤準,2009,「自由と自己責任に基づく秩序の綻び―『自由と責任の制度』再考―」『理論と方法』24(2):164.

⁴⁾ 金融広報中央委員会,2019,「「金融リテラシー調査 2019 年」の結果」,p.21, (2021 年
7 月 29 日取得,https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/literacy_chosa/2019/pdf/19literacy.pdf).

⁵⁾ 西田玲子,2019,「高校家庭科で「投資信託」 22 年 4 月から授業」『日本経済新聞』2019 年 11 月 12 日,(2021 年 7 月 29 日取得,http://xn--https363kt540a//www.nikkei.com/article/DGXMZO51840730W9A101C1000000/

 

【参考・引用文献】

1)金融審議会市場ワーキング・グループ,2019,「報告書―高齢社会における資産形成・管 理 ― 」 , ( 2021 年 7 月 28 日 取 得 ,https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20190603/01.pdf).
2)金融広報中央委員会,2019,「「金融リテラシー調査 2019 年」の結果」,p.21,
( 2021 年 7 月 29 日 取 得 ,https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/literacy_chosa/2019/pdf/19li
teracy.pdf).
3)内藤準,2009,「自由と自己責任に基づく秩序の綻び―『自由と責任の制度』再考―」『理論と方法』24(2):155-175.(自由と自己責任に基づく秩序の綻び (jst.go.jp))
4)西田玲子,2019,「高校家庭科で「投資信託」 22 年 4 月から授業」『日本経済新聞』2019 年 11 月 12 日 ,( 2021 年 7 月 29 日 取 得 , http://xn--https363kt540a//www.nikkei.com/article/DGXMZO51840730W9A101C1000000/).