自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

雑談 ~自分をコマだと思って動かす気持ちで~

 自分の望み通りのチームを組めず、そのままのチームで課題を達成しなくてはいけないときのリーダーに求められる立ち振る舞いとは何なのかが大体見えてきたので、それについて語っていきたい。目標は、そのままのチームでストレスを溜めることなく課題を達成することだ。

 

 

 この前、課長研修でやるグループワークというのを体験した。内容は、5人ひとグループとなり、4人は目隠し、目隠ししない1人がリーダーとなって指示を出して机においてあるものをリーダーの想像する通りにセッティングしていくというものだった。ちなみに、セッティングしたものはフォークやナイフといったテーブルセットである。最初はとてもスムーズに5分でテーブルセットを完成させた。振り返りののち、グループのメンバーを入れ替えて3分を目標に二回目を実施した。

 

 やってみた感想としては、「最初のリーダーの指示の方が良かった。みんなで(2グループ計10人)で行った振り返りを、二回目のリーダーは果たしてどれほど聞いていたのだろうかとさえ思った。信頼関係が重要なこともわかったし、リーダーの向く人、向かない人もいることがわかった。自分は遠慮しがちだったが、リーダーをやった方がストレスは溜まらなかった気がする。」といった感じである。付け足しつつ見解を述べていきたい。一応、勝ち負けがあり、私のチームは一回目は勝利し、二回目は負けた。

 

 

あるある、あっちの人の方がやりやすい。

 最初のリーダーの指示の方が良かったなと思った理由は、まず、他の人に向かってわかりにくい説明をしていたからである。例えば、「それを上に」といった曖昧で誤解を招くような表現がよくない。適切な表現は指示語を使うのではなくスプーンを手前においての方がよい。上にと言われた人は置かなくてはならないのに上にあげてしまったそうだ。ここで、上じゃなくて手前だろうと、脳内で訂正をするかしないかは、指示通り動くのではなくて意図をくみ取るか否かによってくるだろう。

 

 そして、動くなという命令もあったのでよくなかった。後の振り返りの時に、「手が動いてしまうと物も移動してしまって指示が出しにくいから動かないで欲しかった」といっていたが、それを言っていたら命令ではなく頼みになったとう思う。それから、一回目より二回目の方が時間がかかってしまったことはよくなかった。人間が光速より早く移動できないにしても、与えられた時間はテーブルセッティングをやるのに十分な時間である。

 

 

振り返りをしたんだったら、二回目をやろう!

 振り返りでは、どこを改善すれば3分以内にテーブルをセッティングできるかと話し合った。目隠しをしているから、何が机に置いてあるのか、どんな完成図を思い描いているのか、それを教えてもらえるとよかった、とコメントがあった。その他、評価された点としては受け渡しの時に相手がわかりやすいように音をならす、名前が覚えられないなら番号で呼ぶ、相手の右左にあった指示を行う、質問していいか確認する。他の工夫としては、並べるものを机から落とさないよう気を付けて落とした時は目隠ししていないリーダーが拾って慌てない、氷が冷たくない(おもちゃ)と教えてあげる(音で推測できるよと伝える)といったリーダーに対してのコメントがほとんどだった(ちなみに、記事を書いていて気づいた)。

 

 

では、チームを入れ替えて再挑戦!

 チームを入れ替えて、私のチームには、初体験が2人、さっきのグループで一緒にした人が1人、別のチームだった1人であった。リーダーは、最初と同じでジャン負け(じゃんけんが負けた人)がリーダーとなった。前述の通り、最初から何が置いてあるかわかっている上に、振り返りをして何をするといいか分かった上でやった二回目は、最初より時間のかった5分30秒程度という結果に終わった。

 これが終わった後、ハートに傷がつかないよう振り返りをした。振り返りでは、解釈の余地がありすぎる指示で困った、何が置いてあるかを把握するためだったとしても自由に動かれて困った、もうちょっと自由に動いて把握すると良かった、僕のところには何もなくて一回しか呼ばれなくて残念だった、段差が邪魔をした、みんなが手伝ってセッティングするというよりは1人がセッティングに専念すると感覚的に位置がわかっているからはやくできたかもね、時間を気にすると上手く指示ができなかった、さっきは名簿があったから名前を覚えなくても大丈夫だった等であった。

 

 

個人的な振り返り

 勝ち負け、改善があるならばベストなリーダーの決め方はジャン負けではないということを学んだ。ジャン負けでやると振り返りをまともに聞いていなかったり、「じゃあ、さっき振り返りのときに話していたとおり○○してください」と振り返りを活かすことができない人に当たる可能性があるからだ。すなわち、ジャン負けはリーダーに向いていない人がなる可能性があるためやめた方がいい。ちなみに、私はこのグループワークを通して、遠慮してストレスが溜まるグループワークを実施されるぐらいなら、自分がやった方が良かったと思った。なぜなら、自分がやってドギマギした方がまだましだし、振り返りの話ぐらいは確実に実行できるし、私の方が上手く指示が出せると思ったからだ。しかしながら、たまには一回目の通りストレスのたまらない指示に従う機会にも出会いたいので、リーダーに名乗りをあげてばかりはいたくないとは思う。それに、誰かのリーダーになる機会も奪いたくはなない。

 

 二回目をやっていて、これはすごい現実であがりやすい問題と思ったことがあった。それは、リーダーが適切な人材なのかである。時として、フォロワーの方が先を読めていたり、全体を把握していることがある。非合理的な指示、目的を果たす上で手段を決められるとストレスを溜めたりするし、リーダーに改善策の提案を繰り返すと実質的なリーダーがかわってしまい場の雰囲気を悪くするし、それによりさらに効率を悪くしかねない。リーダーにも種類はいると思う。ただ、グループが指示を出す人、指示に従う人という典型的なグループの場合、あまりにも非効率、非合理で、やり方を指定してきて、さらには繰り返し提案を受けたりする場合、実質的なリーダーがかわりにでてきてしまうので注意する必要がある。リーダーのメンツをつぶさないようにしつつ、チームが効率的で合理的に動くのは至難の業なのだから(私の場合はそう)。

 

 これを踏まて、良いリーダー、良いフォロワーというのは何なのだろうかと考えた。というより、あの時どう立ち回れれば上手くいったのか考えてみた。本当の話をすれば、自分がリーダーをやることへの遠慮を払拭するための都合のいい考えを見つけた。それ何かというと、ストレスフリーで最短、最高のできで課題を達成するために自分すらコマ扱いして、誰がどの役割を担うのが一番いいのかを考えればいいということだ。さきほどのグループワークの例だと、リーダーには自分が適任であったのでやった方がよかった。なぜなら、少なくとも振り返りの話は実行に移すからである。そして、相手の行動を分析してぐちぐち考えてストレスを溜めなくて済むような気がする。多分、相手が思ったように動かなくてイライラするのがおちだろうが。

 

 今回の振り返りの目玉は、グループワークをやるにあたって課題達成をするために自分すらコマのように扱える人材がリーダーになること、また、自分をコマとして扱えるような人材を味方につけて補える、もしくは相互補完的関係性を築ければ最高だと思った。まずは、自分をコマのように扱って課題達成のためにどう動けばいいかを考えたい。先ほどの例だと、まずはリーダーになってみることである。また、フォロワー同士でコミュニケーションをとり助け合えばよかったと反省しているし、声掛けがないのは奇妙である。リーダーという役職が生まれると指示を与える人、指示をもらう人という関係ができるが、責任の所在はおいておいて、そこが色々と問題かもしれない。確認してから手伝う、助け合うというのが打開策といえる。

 

 

 士農工商といった世襲などで自分の仕事や役割が決まっていたころと違い、現代は自分自身の役割というのを自分で選ぶことができる。有機的連帯で社会が成り立っている、人々が専門性に特化、つまり分業をして相互補完的に成り立っているこの社会は、微妙なところもあると思うが、自分が選びたい役割を担える可能性があるし、何よりも苦手な役割を担う必要がないことを念頭に置いておきたい。私は、現代を良く批判しているが、現代の一つの特徴である仕事を選んでいいところは歓迎する。確かに、日本は職業選択の自由が保障された国ではあったが、あまり意識したことがなかった。もしかしたら、最も容易に噛みしめられる自由かもしれない。ただ、安易に喜べない。自分と社会等を自己相対化する視点を持ち合わせない、行動に移さないならばデメリットがメリットを大きく上回るに違いない。

 

 

 最後におまけで悲しい前提を共有しておきたい。

 それは、振り返りをまともに聞いていない人がいるということを覚えておく必要があること(それから、話をしたとしても聞いてませんでしたという人間が現れるということは頭に入れておかなければならない)。

 

 

 

以上になります。最後まで読んでいただきありがとうございました。