自由研究の需要確認用の質問
自由を考えてみよう。この質問の順番には意味があるので順番に答えてください。
・あなたは自由ですか?
・自由に感じるときはどんな時ですか?
・他者の自由と自分の自由をコンフリクトさせないためにどのような工夫をしていますか?
・自由とは何ですか?
・”自由”という漢字を見てどのような意味を思い浮かべますか?
以上の5個の質問に全部答えられなかったり、答えが矛盾していたりしたら自由研究してみてはいかがだろうか。
他人の自由と自分の自由をコンフリクトさせないためにどのような工夫をしていますか?、という三つ目の質問に「干渉しないこと」と回答してくれた方がいて後日とても納得しました。
(この需要確認用の質問は大学の課題で作ったのであって、このブログのためにわざわざ作ったわけではない。しかし、よくできている。)
本題に入っていこう。
自由がないように感じるとき
干渉・依存の二つである。
干渉は、外的要因により行動や思想を制限・強制される。
依存は、自らの意志(内的要因)で生きるうえで重要な何かを手放し、頼ること。
干渉は「干渉される」のが嫌なのであって、干渉するのが嫌なわけではない。
依存は「依存する」のが嫌なのであって、依存されるのが嫌なわけではない。
なぜなら、前者は選択肢がないが、後者は選択の自由がある。
つまり、前者は他人が主体になり、後者は自分が主体である。
私の意味のわからない選択の話
某正規留学斡旋学校に願書を提出するために作文まで完成させたことがある。この学校に願書を提出しなかった理由は高校の物理より厳しい正規留学に耐えられる自信は自分で200万ぐらいの学費を出さないと湧かないと真面目に思ったからである。(一年で200万円貯めるのはやめて進学先も変えたが、一年で200万円はバイトでも稼げると思う。)
他人に依存するとよく考えず力を抜いているような気がする。切羽詰まっておらず余裕が持てるのかもしれないが、他人の力で余裕が持ててもしょうがない。
あと、この学校の説明会で将来の夢を問われたきに「自給自足」と答えた。つまり自立である。
人と人は分業を通し助け合って生きていくのかもしれないが、頼る・頼らないの選択肢があって頼るならまだしも頼らざるを得ないのって何か違う。頼らざるを得ないところに意志は介在しない。
気に食わないやつの手助けを自分から拒めるのと、拒めないし頼らざるを得ないのは違うのである。
付録 ルサンチマンとフリーライダー
イギリスで有料のガイドを受けていたときに、お金を払っていないのにガイドの説明を遠くから聞いていた人がいた。私は何の不利益も被らないのにこの人に嫌な気持ちがするのはルサンチマンっぽいなと思っていたが、経済学的にはフリーライダーなのだからよくないのであると勉強して思った。
不利益を被っているのは直接的には自分自身ではないが、フリーライダーがいることでサービスの資本の枯渇に繋がり、結局のところ消費者に低いサービスの提供につながるため、お金を払っていないのに遠くからガイドの話を聞く人はよくないのである。
私がルサンチマンなのではなく、遠くからガイドの話を聞く人はフリーライダーであり、よくないのであった。
最終的に別の人がこのフリーライダーがいることを指摘し事無きを得たのだが、習慣や常識ではなくフリーライダーと判別し指摘したのならすごいなと思う。指摘する勇気もすごい。(何が勇ましいんだか)
終わりに
どうでもいいけど、自分の稼いだお金であげないプレゼントって何だろうと思ったことがある。何にでも変えられるお金を自分のためではなく人のために使うという考えに価値があるのかもしれないと捉えられなければ、人にプレゼントをあげるのはストップしそうだ。
すごい嫌な言い方をすると、プレゼントをあげてどんどん貧しくなっていく自分をどう思うのか、と世の高額なプレゼントを欲求する者に問うてみたい。
以上です
思考源
干渉されているとき、依存しているとき嫌な気分
スポンサーがいるとどのようなことが起きるのか