自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

自由研究 ~自由を定義し、不自由から脱出する~

 今回のテーマは、不自由を感じていないのに、自分が接する可能性の少ない不自由の境界を広げる必要はあるのか、ということから思考した。

 今回の記事はまとまっていないので、本意ではないが、結論から読みたい読者は結論からどうぞ。

 

自分が何に不自由を感じているのか

年齢的な不自由(法的に不自由)

 未成年の場合だと人によってはかなり不自由を感じる。筆者の場合まず、パスポート発行・クレジットカードの発行・ピアスを開けるときなど親の承諾が必要。パスポートとマイナンバーカードの有効期限は5年のみ発行可能など、制限もある。筆者が怠惰なだけかも知れないが、いちいち親に承諾をとるのは相手の都合を考えると非常に面倒でしかないし、マイナンバーカードの二回目の発行は有料みたいな話を聞くと発行に躊躇する。

 年齢的に不自由に感じていることはあるが、これは時間が解決してくれるのでまだ見過ごせる。

 

金銭的な不自由

 人生設計をしながら金勘定をしていると、全てがよくない出費に思えてきて不自由に感じる。高い服が欲しいとか言っているわけではなく、旅行に行きたいとか言っているわけでもなく、投資と留学をし文化的で少し楽をしたストレスフリーな生活の実現を考えると金銭的に不自由なのである。恐らく、出費の把握と人生の貯金計画を明確に立てていないのが問題なわけだが、現在の筆者の本業は学生であるため金銭的に潤っていないのはしょうがないことである。目先の計画ぐらいなら出費を明確にでき対応できるが、老後までは未知数なので貯金の明確な指標が持てず貯金計画が練れないので不自由な状態にいると思ってしまう。

 つまり、金銭的な不自由を脱出するためには余裕を持たせながらハードルがそこまで高くない貯金計画を立てるため、出費の明確化が必要である。

 

 自分は主に金銭的自由がないことにより不自由を感じている。それを解消できればあまり不自由な状態ではなくなる。

 

思考結果

 不自由を感じるのは怠惰なのもあると思う。

 不自由な状態にいるのか確認するため、どこまで自由なのか把握することが、不自由な状態を脱出する鍵だ。まるで、プラトンの洞窟の比喩のようだ。(ちょっと違うかな)

 

[考え方]

なぜ、不自由だと思うのか?

ならば、どこまでの自由を望むのか? or 自由と定義するか?

それは欲求に対して有り余る自由ではないのか?

不自由な状態から脱出するためには何をどれくらい必要か把握せよ。

(不自由な状態から脱出するために調べて計画しても動けば動くほど自由を求めてしまい、自由が手に入れられない状態にならないよう注意が必要である)

 

今回の思考を通して、やはり自分は自由研究する必要があることがよくわかった。

 

 

最後はデカルトに習って終わりにする

「決断できない人間は、欲望が大きすぎるか、悟性が足りないのだ。」

 

「難問は、それを解くのに適切かつ必要なところまで分割せよ。」

 

ルネ・デカルト

 

 

思考源

特になし