自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

自由研究 ~ミヒャエル・エンデ『自由の牢獄』~

今回の内容は、エンデの自由の牢獄が届いたのでそれと選択のパラドックスと関連付けながら自由について考えたいと思う。自分自身ならどうするか考えながら読むと楽しめると思う。

 

自由の牢獄 ―千十一夜の物語

ミヒャエル・エンデ著『自由の牢獄 ―千十一夜の物語』のあらすじは、少し長い。

インシアッラーと呼ばれる盲目の乞食(彼はアッラーを信仰している)が教主に若い頃、まだ目が見えたときの体験談を語る。ある日イブリースに騙され彼は同じ扉が111ある何の情報もない円形の部屋にいた。そして、イブリース(彼が思いこんでいるだけかも)は彼に「この部屋は、永遠の全治全能から切り抜かれたところだ。完全なる自由の精である、このおれが、反抗と自尊心の神殿として造り上げたのだ。この機会を逸することなく、おれの期待にこたえるがよい。」と言った。彼はアッラーの御心のままにはこの部屋で動けないと考えているため、111ある扉を前にして立ちすくむ。すると、自称自由の精が扉の何個か扉の説明を可能性の次元でし「おまえはおのれの運命を選ぶのだ。良き運命を選ぶがよい。」と言う。彼はとりあえず扉を数え始め、111の扉があることをここで知り狂気の部屋であることを悟る。(111は狂気の数字)そして自称自由の精に決めなければここに永遠にとどまることになるぞと言われる。彼は、何らかの手掛かりを探し自称自由の精に様々な情報を聞き出す。扉には鍵がかかっているのかどうか聞き、扉は一つ開けば他の扉は永遠に閉ざされることを彼は知る。彼は適当に扉を開けようとしたが、自由の精にその扉にした理由を聞かれ、結局扉は開けなかった。そのあと、彼は何か情報が手に入らないか情報を探していたが何一つなく、遂に自由の精に知恵を求める。しかし、彼はその一度きりの知恵も無駄にしてしまう。そして、扉を選ぶことを諦め、扉の数はどんどん、どんどん減っていき、遂に扉は一つになったが彼は残ることを選び、扉は一つもなくなった。「この上もなく慈悲深き、気高き、尊きものよ、ありがたいことだ。自己欺瞞をことごとく退治し、偽りの自由をわしから奪ってくれた。もはや選ぶことができず、その必要もなくなった今、自己意志に永久に別れを告げ、不平不満をもらすことなく、理由も問わず、あなたの聖なる御心にしたがうことがやっとたやすくなくなった。わしをこの牢獄へ導き、この壁の中に永久に閉じ込めたのがあなたの御手ならば、わしは満足しよう。われら人の子は、盲目という御慈悲が与えられぬかぎりは、とどまることも去ることもできない。盲目とはわれらを導く御手。わしは自由意志という盲目を永久に放棄しよう。自由意志とはおのれ自信を食らう蛇にほかならないからだ。完全な自由とは完全な不自由なのだ。平安や知恵といものはすべて、全能にして唯一の者、アッラーのもとだけにあり、そのほかは無にすぎない」彼は言い終わると、死んだような状態におちいり、目覚めると盲目の乞食となっていた。

この後少し教主と話て物語は終わる。

 

選択のパラドックス

人は選択肢が多すぎると選べなくなる。自由度が高くても人は困ってしまう。だから、近代社会である今、選択肢が多すぎて人は自由から逃走してしまう。

というのは置いておいて、人は選択肢が多すぎると選べないのはご存じだろうか。そして、人は選択肢があると不幸になりやすいのも知っているだろうか。なぜなら、あっちを選んでいればといった後悔が生まれるからだ。(比較はある意味恐ろしい)

自由の牢獄ではそれがとても丁寧に表現されている。また、情報が少なければ少ないほど後悔しないという点では、最初に扉を適当に開けるのが最も容易だったであろう。

この本の面白いところは、現代人の成長と共に変化する将来の夢の経緯を彷彿させるところだ。まず、選択肢はたくさんあるので適当に選ぶ。しかし、成長と共に様々な情報や体験談などを聞き自分の能力と可能性、他の選択肢を知り夢は変化していく。そして、現実と可能性を吟味しすぎて選べない者が生まれるのだ。年齢によって持っている選択肢は違うため、選択しなければ選択はなくなっていく。

自分が高校も内部進学したのはこの様々な可能性を受けいられなかったからだろう。だから、もう高校を二度と選ぶことはできない。(現状に留まり扉は開けなかった、そして扉は時と共になくなった)

これは、結婚相手を探すのとも似ている。結婚相手によって自分の人生が大きく左右されるため簡単には選べない。若ければ若いほど未来に現れる(今はないだけ)選択肢も含め選択肢が豊富だが、婚期を逃すと選択肢(結婚相手)はドンドンなくなっていく。選ばなければ現状維持のままに終わる。(安心して欲しいのは結婚できる期限は寿命であるということだ)

 

自分で選ぶということ

盲目の乞食の面白いところは、扉をどれにするか全て外的要因で決めようとし、全く自分に選ぶ基準のないところだと思う。そして、遂には疑っていたはずの自称自由の精に知恵を乞うところまでいく。自分の運命にも関わらず誰かに判断を投げるというのは、神でも誰でも自分の人生なのに自分で決められないのかと思う。まさに、盲目に従うのである。作中の詩を引用しよう。

われらをさいなむ、無数のふたしかなことから、

思うままに選べと、裁きを受けた虜囚のわれら

どうして知りつつ選ぶことができようか

ゆくすえは、永久にしれぬものゆえ

ゆくすえを知れば、のはや歩みも定まる

すべては定めたるゆえ、選ぶことがまたできぬ

それゆえ、この知識は、世界の主だけのもの

主は星を司り、われらの心を御心のままにみちびく

 

ヌレディン・アル・アクバールのガゼールより。一一三〇年頃。

判断基準はどこへ

安全確認をせず、信号に全てを任せっきりなのと同じように、天使や信者が善悪の判断を神に任せているわけだ。道徳を自ら規定し実行できるのが人であるにも関わらずいつからか人は誰かに判断基準を任せてしまった。人の正しい生き方を仮に神が導いてくれたとして、それは神の人生であって自分の人生とは言えないはずである。爽快な詩を一つ紹介しよう。

嘘ついて星ふえる   菅原 敏

 

マリア様が微笑んだなら

十字を切って

嘘をつく

みんなの知らない

宇宙のひみつや公式を

どこであのこは知ったのか

聞いてはいけない

 

聖書のページを

白い絵の具で塗りつぶし

神の声より価値あるものを

その上から書き記す

肉体から離れた場所に

魂のこす方法を

どこであのこは知ったのか

それは決して

聞いてはいけない

 

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あと、実は人は損することをものすごく恐れるの現状維持を選ぶというのもある。

なぜ乞食が盲目になったのかは案外簡単だった。なぜなら、彼に選択肢が必要なければ、選択肢がある必要がないのである。だから、盲目という表現を通して選択肢がなくなったのを表したのだと思う。つまり、自分が選ばなければ選択肢はないにも等しいのだ。

 

終わりに

今度、自由の精の神殿が反抗と自尊心の神殿なのか考えられたならと思う。信仰しているしていないの問題の前に111の扉のどらか一つを理由なしに選ぶのは難しい質問だ。「生まれ変わったら~」とよく言うが、にも関わらず死を選んでいないのは生まれ変わったときに望む形になりはしないというのが理由だと思う。(そもそも、生まれ変わるというのは保証されていない)

                                     以上

 

 

思考源

本 ミヒャエル・エンデ,1996,『エンデ全集13 自由の牢獄』

菅原 敏 嘘ついて星ふえる

選択のパラドックス   TED バリー・シュワルツ

https://www.ted.com/talks/barry_schwartz_on_the_paradox_of_choice/transcript?language=ja#t-246803