自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

大学の課題 ~古代人の死の価値観~

これは2021年度後期の大学のレポートです。レポートの締め切りから時間が経ったら公開しようと思っていましたが、ロシアのウクライナ侵攻を受けて公開を延期していました。あの戦争を受けて考えたことは、自由や思想の自由がある限り、理念の実現の手段として手っ取り早い戦争という名の暴力はなくならないのではないかという考えです。イエスソクラテスに古代人という表現は適切と言って差し支えないようです。

 

どうぞお楽しみください。

古代人の死の価値観

序論 無意識に受容した価値観

 物語において主要な登場人物の死は最も悲劇的で印象に残るシーンの一つだ、という共通認識が多くの人にあるだろう。また、「どんな時でも生きてさえいれば希望がある」という言葉に共鳴する人も少なくないはずだ。だが、それは生命が最高善であるというキリスト教由来の無意識に受容した価値観かもしれない。もし、無意識に受容した価値観だとしたら、自分の命より価値の高いものを見出し、自分をより大きな価値の尺度に照らし相対化できない限り自覚するのは難しい。無意識に受容した規範ともいえる価値観を疑ってみると、みないとでは生命が最高善であるという規範の重みも違ってくる。設定や状況にもよるが、物語でも、現実でも、最も悲劇的なのは本当に人の死なのだろうか。

 このレポートでは、現実において、最も悲劇的なのは死という価値観は古代人に見られないということを述べ、生命が最高善であるというのは普遍的な真理ではないことを述べる。本論で、古代人の死の価値観をソクラテスイエス・キリストの死、古代人の奴隷への軽蔑から考察する。

 

本論 古代人の死の価値観

ソクラテスイエス・キリストの死

 まずソクラテス、次にイエス・キリストの順で彼らの死についてブリタニカ国際大百科事典[1][2]より触れる。その後、二人の死の共通点について述べる。

 ソクラテスギリシアの偉大な哲学者と知られ紀元前470頃~前399年の間を生きたとされる人物である。前399年、ソクラテスは「不敬虔」の罪で告訴され裁判にかけられた。告訴状には、「ソクラテスは青年を腐敗させ」、また「国家の認める神を認めず、新しい鬼神(ダイモン)の祭りを導入した」という二つの罪で問われていた。陪審制をとるアテネの法廷において、ソクラテスは告訴に対する弁明というより、むしろみずからの信条告白とその正しさについての確信の宣明に終始し、有罪となった。その後、刑の申し出が原告と被告の双方からなされ、原告は死刑を求刑したが、ソクラテス減刑を申し立てることによって人々のひそかな期待にこたえることはせず、報酬の要望と科料に応ずるとした。このことは、彼の友人から見たら一種の自殺行為のように思えた。この態度でソクラテスは法廷を怒らせ賛成多数で死刑が可決することとなった。通常アテネでは、死刑の判決を受けた者は二四時間以内に「毒杯を仰ぐ」ことになっていた。しかし、ちょうどその時期はアテネが毎年デロス島へ祭使の船を送る聖なる期間であったため、その祭船が帰還するまでの間は、死刑の執行をしてはならないことになっていた。そこでソクラテスは一ヵ月間、アテネの牢獄で友人たちと平常のごとく対話しつつ時を過ごした。その間、彼は友人が促した逃亡の勧めを受け入れなかったため、ソクラテスは前399年、70歳のときに死刑に処されたのであった。

 イエス・キリストは自分たちの権威が失墜するのを恐れた司祭長やパリサイ人に命が狙われているのに気づき、死すべき時がきたのを自覚して弟子たちと夕食をともにした。イエスを裏切ったのは十二弟子の一人イスカリオテのユダであった。イエスは逃げることもせず、死へ道を選ぶのであった。

 

エスにしてもユダの心の動きを察知してから、逃げることができたにもかかわらず、死への道を歩いた。弟子たちが一人もイエスを真に理解しなかったので、彼は死をもってその教えを示す方向へと歩まざるをえなかった。人間イエスにとって、死がいかなる意味をもったかはゲッセマネの祈りに示されている。彼の死は彼個人の問題ではない。彼の弟子と、彼による救いを待望する多くの人々の問題である。しかし、誘惑に勝ったイエスはこの世とはまったく異なった次元に目を注いで苦難と死の道を選ぶのである。[3]

 

 イエスは死の道を選び、敵に捕らえられた。高等法院の裁判に引き出されたイエスは、はじめ何の罪も認められなかったものの、大司祭に「なんじはキリスト、神の子か」とたずねられ否定しなかったため、そこで神をけがすものとされイエスの死刑の判決が下された。ユダヤ教の司祭やパリサイ人たちが死刑判決および執行の権限をもつ総督ピラトに十字架につけるように強要した。管轄下の治安維持が指名であるピラトはユダヤ教の指導者の意見に従いイエスを十字架につけることにした。十字架の刑はローマ世界で奴隷を処刑する場合に用いられた方法であり、即死ができず長時間なぶりころしにされたうえにさらしものにされるため様々な刑罰の中で最も残酷なものである。ガラリアから従ってきた数名の女性が十字架上に息を引き取るイエスを目撃し、アリマタヤのヨセフが総督ピラトにこうてイエスの屍を引き取り、当時の習慣によってそれを香料ともに布で巻き、新しい墓に収めた。以上で人間としてイエスの生涯は彼の死によって終わるのである。イエスに関する歴史はこれで終わらず復活についてもあるがここでは触れない。

 ソクラテスイエス・キリストの共通点は、彼らは自分自身でメッセージは書き残さず弟子たちの記述を通して間接的にしかメッセージを知り得ない点、逃げることができたにも関わらず死を選んだ点、恩赦を願い出れば恐らく命は助かっただろうにも関わらず自分の使命を裏切らなかった点などである。

 

自殺という選択肢

 現代人は誰かの自殺、死に深刻そうに反応するが、古代人から見たら過激反応といえるかもしれない。過去、ソクラテスが生きていた時代、場所である古代ギリシアでは生命以上に価値あるものがあった。ハンナ・アーレントによれば古代人にとって「自殺は重荷になった生命を逃れる高貴な振舞である信条」であることがわかっている。

 

 

キリスト教が生命の神聖さを強調した結果、〈活動的生活〉内部における古代人の区別や明確な仕切りが均質化される傾向が生まれた。つまり、労働、仕事、活動は、等しく現在の生命の必要に従属するものと見られるようになったのである。それと同時に、生物学的過程そのものを維持するのに必要な一切のもの、つまり労働の活動力が、かつて古代人の抱いていた軽蔑の念から解放されることになった。奴隷が軽蔑されていたのは、彼らがいかなる犠牲を払ってでも生き残りたいために生命の必要にのみ仕え、主人の強制に服していたからである。しかしこのような奴隷にたいする古くからの軽蔑は、キリスト教時代になるともう存続できなかった。プラトンが奴隷を軽蔑したのは、彼らが自殺もせずに、むしろ主人に服従する方を好んでいたからであったが、もはやこういう軽蔑はありえなかった。なぜなら、どんな環境のもとでも生き抜くことが聖なる義務となったからである。そして自殺は殺人よりも悪いものと見なされた。キリスト教で埋葬を拒まれたのは殺人者の方でなく、自分自身の生命を断った者の方であった。[4]

 

 古代ギリシアのポリスでは自由がよしとされていたため、奴隷は軽蔑されていた。プラトンをはじめとする古代人の価値観は奴隷になるぐらいなら死んだ方がましという価値観であった。

 ジョージ・オーウェルの著作『一九八四年』の登場人物であるオブライエンの台詞に「人は死ぬ運命にあり、死はあらゆる敗北のなかで最高の敗北だからね。」[5]というのがある。このセリフを難なく否定するのは多くの現代人にとって困難ではなかろうか。だが、これは死の道を選んだソクラテスイエス・キリストに当てはめることができないといえよう。人は死ぬ運命にあるが、命よりもソクラテスは信条を優先し、イエス・キリストは命よりも教えを示すこと優先したからである。この二人と古代人にとって最も回避すべきは自分自身の死ではなく別の何かなのである。

 

結論 生命が最高善であるという価値観は普遍的な真理ではない

 本論で、古代人の死の価値観をソクラテスイエス・キリストの死、古代人の奴隷への軽蔑から述べた。結論としては、物語や現実において、最も悲劇的なのは死という価値観は古代人に見られない。

 現代人が生命を最もかけがえのないものとするならば、たった一度しか使えない死という切り札を使って、何を守りたかった、貫きたかったのか、という機会費用のような視点を持つのも大切だ。なぜなら、死の道を選んだ者たち、例えばソクラテスイエス・キリストだけでなく、三島由紀夫自爆テロの首謀者たちを考えない限り、その意をくみ取りにくいからだ。

 序論でも述べた通り、生命が最高善であるというキリスト教由来の無意識に受容した価値観かもしれない。もし、無意識に受容した価値観だとしたら、自分の命より価値の高いものを見出し、自分をより大きな価値の尺度に照らし相対化できない限り自覚するのは難しい。今ある価値観を疑ってみると、みないとでは命が一番大切という価値観の重みも違ってくるだろう。設定や状況にもよるが、物語でも、現実でも、最も悲劇的なのは本当に人の死なの疑ってみて損はないだろう。

 

 

参考文献リスト

アレント,ハンナ,2021(1994),『人間の条件』(志水速雄訳),ちくま学芸文庫.

オーウェル,ジョージ,2020(2009),『一九八四年[新訳版]』(高橋和久訳),ハヤカワepi文庫.

・ゴルデル,ヨ―スタイン,1996(1995),『ソフィーの世界――哲学者からの不思議な手紙』(池田香代子訳),NHK出版.

戸田山和久,2020,『教養の書』,筑摩書房.

・前田護郎,1973,『ブリタニカ国際大百科事典5』「キリスト」,ティビーエス・ブリタニカ,pp. 643-654.

・松水雄二,1973,『ブリタニカ国際大百科事典11』「ソクラテス」,ティビーエス・ブリタニカ,pp. 757-760.

 

[1] 松水雄二,1973,『ブリタニカ国際大百科事典11』「ソクラテス」,ティビーエス・ブリタニカ,pp. 757-760.

[2] 前田護郎,1973,『ブリタニカ国際大百科事典5』「キリスト」,ティビーエス・ブリタニカ,pp. 643-654.

[3] 前田護郎,1973,『ブリタニカ国際大百科事典5』「キリスト」,ティビーエス・ブリタニカ,pp. 643-654.

[4] アレント,ハンナ,2021(1994),『人間の条件』(志水速雄訳),ちくま学芸文庫,p.492.

[5] オーウェル,ジョージ,2020(2009),『一九八四年[新訳版]』(高橋和久訳),ハヤワepi文庫,p.409.

 

以上になります。最後まで読んでいただきありがとうございました。