今回は記憶倉庫より筆者が普通にとらわれないために考えたことを述べていく。
引用するアニメ「PSYCHO-PASS」のあらすじ
舞台は、人間のあらゆる心理状態や性格傾向の計測を可能とし、それを数値化する機能を持つ「シビュラシステム」(以下シビュラ)が導入された西暦2112年の日本。人々はこの値を通称「PSYCHO-PASS(サイコパス)」と呼び習わし、有害なストレスから解放された「理想的な人生」を送るため、その数値を指標として生きていた。
その中でも、犯罪に関しての数値は「犯罪係数」として計測され、たとえ罪を犯していない者でも、規定値を超えれば「潜在犯」として裁かれていた 。
そのような監視社会においても発生する犯罪を抑圧するため、厚生省管轄の警察組織「公安局」の刑事は、シビュラシステムと有機的に接続されている特殊拳銃「ドミネーター」を用いて、治安維持活動を行っていた 。
本作品は、このような時代背景の中で働く公安局刑事課一係所属メンバーたちの活動と葛藤を描く
第2期は第1期終了時点から1年半後から始まり、シビュラシステムと公安局に攻撃をしかけてくるシステムに認知されない犯罪者を追うことになる。[引用:Wikipedia]
引用をわかりやすくするためにアニメ内容の捕捉をすると、この世界では国民の職業もシビュラが決める。芸術家や音楽家たちも人々の犯罪件数を上げないため公で活動するにはシビュラ認定芸術家などにならなければならない。付け加えておくと、この世界には裁判所がないので異議申し立てはできないので、シビュラに決められてことは絶対に等しい。また、シビュラは結婚相手を頼めばその人の性格に基づいてよい相手を見つけてくれる。
今回はこの引用から掘り下げていく。
誰だって孤独だ。
誰だって虚ろだ。
もう誰も他人を必要としない。
どんな才能もスペアが見つかる。
どんな関係も取り換えがきく。
そんな世界に飽きていた。
[引用:槙島聖護(アニメPSYCHO-PASS)]
自分が中2の時に地上波でやっていたアニメのキャラクターからの引用である。自分は見ていないが、このアニメ3期までやっていて映画は合計5本ぐらいやっているかなり人気のアニメだが、筆者がお勧めできるのは1期の新編集版までだ。
追記 槙島聖護の引用の類似作品
誰ひとりきみの代わりはいないけど上位互換が出回っている。
[引用:最初からやり直してください 宇野なずき]
普通とは、変人とは
自分はよく「変わってるね」と言われる。言われてあまり嬉しい言葉ではない。しかし、ある時中学の先生が授業中に「僕にとって変人は褒め言葉なんだよね」と言ったことを覚えていたので、なぜなのか考えてみた。
引用の「どんな関係でも取り換えがきく」とは、特に普通の人が当てはまると考えた。
普通とは
①ひろく一般に通ずること。
②どこにでも見受けるようなものであること。
[引用:広辞苑]
普通=どこにでもいる=代替え可能=スペア、と考えた。
もし恋人が優しい人が好きといったら、ある意味優しければ誰でもいいということだ。「別にあなたじゃなくてもいい」という言葉はどれだけ言われた相手を傷つけるのだろうか。
この言葉を言われそうな他の場面は、職場だと思う。「あなた以外に代わりはいくらでもいる」この言葉も言われたらかなり傷つくと思う。(読者は察しているかもしれないが、もちろんこんな言葉言われたことはありません。勝手な妄想です。)
両方とも、自分は相手に尊重されていないことが明確にわかる。
だから、普通でいるわけにはいかないのだ。自分が選ばれた理由が欲しい。(贅沢な欲求かもしれない)
自分は自分しかいないことの証明の仕方
職業や技能や学歴はいくらで同じ人がいる。昭和30年~平成30年までの東大の卒業生は約19万5千人いる。東大卒は案外いる。もう少し規模の大きい慶応義塾大学だと約38万人の卒業生がいる。つまり、もし学歴で人を決める会社に就職したいなら完全に「あなた以外に代わりはいる」わけだ。
どうやら合理的に考えると仕事関連では自分しかいないことの証明は無理そうだ。(芸術家など何かを生み出す仕事は例外だ)
自分は自分しかいないことの証明は案外簡単で、それは「自分の趣味嗜好」を総括的に見てみることだ。
筆者の趣味嗜好↓ どれぐらいかぶる?
好きな色はシルバー、テレビよりラジオ派、心理学大好き、太ってる人の二の腕が好き、新真剣佑の顔が好き、パソコンはAppleより軽さ優先、金の亡者、自転車はロードバイク派、スマホは小ささ重視で旧SE、昼寝大好き、喋るの大好き、数学も物理も嫌いではない、ビーサン大好き、シャーペンはクルトガのジブリ、TED Talks 好き、うるさいところ大嫌い、髭ダンやキングヌーンでもなくラッキーキリマンジャロにはまってる、夏は命の危機を感じるので嫌い、などなど
多分、全世界探しても自分の趣味嗜好と全部かぶる人いないと思うし、いたとしても程度が違う。
だから、自分の趣味嗜好を総括的に見ることが自分が自分しかいないこのの証明になるのだ。他にも生活習慣や性格、マナー、金銭感覚、漫画や映画の選び方、人への配慮など全部一個一個見ると一人一人違うわけだ。違いすぎて普通なんて存在しなくなる。
もし、恋人にどうして私のこと、自分のこと好きなのと聞かれたら○○の趣味嗜好の考えの傾向が好きと答えればいっちょあがりだ。これを覚えておけば、もう悩まずに済むはず。(その後の空気には配慮せず考えている)
友人が自分の友人になったのは知り合ったタイミングが良かったのは否めないが、筆者は友人間においても自分でいることが重要だと思っている。何年も迷惑をかけているのに相談に乗ってくれる、付き合ってくれている友人が何人もいる。それは自分がいい、自分でもいいことの証明だと思っている。(相手がどう思っているかは関係ない)そんな友人たちをがっかりさせにためにも、自分でいる必要があるのだ。
ちなみに、自分は普通の人というか自分がない人はつまらない人だと思っている。そいうひとはinterestingじゃないので基本的に話しかけないというスタンスをとっている。
変わっているが褒め言葉に
「変わっている」は自分は自分しかいないことの、何よりの証明だ。4、5年かかって遂に「変わっている」は褒め言葉として解釈できるようになったのだ。(拍手)
(自分自身に常識はあると思っている、どんな行動をしても相手を言い負かす自信が筆者にはあるので、非常識という意味で変人と言われても「だから何」としか思えない。)
以上が筆者が普通にとらわれないために考えたことだ。
PSYCHO-PASSの一期を見たことある人に言うと、槙島聖護はチェ・グソンを大切にしていたし、何より「すご腕のハッカーがギブソン好きってのは出来すぎだ」というセリフがある。これが「どんな才能もスペアが見つかる。どんな関係も取り換えがきく。」の反論だ。
以上になります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
思考源
アニメ PSYCHO-PASS一期
アニメあらすじ (2020年6月29日)
URL https://ja.wikipedia.org/wiki/PSYCHO-PASS
先生 中学の先生
東京大学卒業生数 (2020年6月29日時点)
URL https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/admissions/adm-data/e09_03.html
慶応義塾大学卒業生数 (2020年6月29日時点)
URL https://www.keio.ac.jp/ja/about/learn-more/by-the-numbers/