自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

自由研究 ~「自由からの逃走」より~

記憶倉庫より、自由研究をしようと思ったきっかけになった話とそこから考えた話が今回のテーマだ。ちなみに、今回は長くわかりにくい。読者は心して読んで欲しい。

このブログの醍醐味である筆者の思考形跡を味わわず、結論を急ぐならなら一番下の結論から読めばよい。

 

入試課題が力作だったのと本当の自由について考えるきっかけになった本

「自由からの逃走」著者 エーリッヒ・フロム初版 1941年 アメリカ合衆国  

 この本は、ナチスドイツに盲目的であったドイツ国民を分析し、全体主義がなぜ自由から逃避しようとするのかを理解し、また自身の自由の観点よりニヒリズムからの脱却方法を述べている。

  ドイツは二十世紀初頭に封建制度から民主主義に代わり、ある種の自由が生まれた。一方、人々は孤独になり自由から逃れて新しい依存と従属を求めていった。それに対し、著者は個人の知的・感情的・感覚的な諸能力の表現という積極的な自由はまだ獲得していないと述べ、孤独の恐怖を克服する方法として自発的な活動を挙げた。

   私は自発的な活動を自発的な選択と言い換え、考えたことを述べる。  

 この時代の孤独による依存と従属の傾向が現代日本人の他人本位な選択をする傾向に似ていると考えた。その例は、就職率の高い大学に進学し安定した会社に就職することが幸せだと思う固定観念が挙げられる。なぜなら、就職率とは社会が決めた価値観であり、自分の価値観で決めた大学ではない。同様に、安定した会社も社会が決めた価値観である。これは他人本位な選択であり、自発的な選択ではない。  

 では逆に、自発的な選択とはどのようなものか。その例は、就職をするためではなく学ぶために大学に進学することであり、就職する会社を選ぶ基準はやりたい仕事ができることである。つまり、自ら進学や就職することを望み、また自分の価値観で選ぶことだ。それが自発的な選択である。  

 人生は選択の繰り返しである。自発的な選択の繰り返しの人生を送れば自分の人生を生きることができる。しかし、他人本位な選択の繰り返しの人生を送れば他人の人生を生きることになる。他人の人生を生きることは不幸だと思うため、自分の人生を生きたい。  

 だから私は自らの人生を生きるため自発的な選択にこだわる。  このように、この本は自分の人生の在り方を考えるきっかけになった本である。

 

以上が入試課題「私が読んで考えさせられた一冊の本」の全文だ。他人本位はの意味は夏目漱石の「私の個人主義」と同じ意味をここでも採用している。この入試課題の難点はA4一枚におさめないといけないことだった。

また、この場を借りて課題に協力してくれた人々にお礼を言いたい。文章構成を最後まで手伝ってくれた友人、感想を求めたら受験が迫っていたにも関わらず丁寧に褒めてくれた友人、考えるにあたって文章構成を押し付けてくれた家族のおかげで大学も合格できたし(この課題は受験時の評価範囲外である)、自由についてき考えられるようになった。自分はとても彼らにとても感謝している。(本当は入試課題に謝辞を書きたかったが友人に構成上却下された)

 

入試課題では書ききれなかったこと

ここからは文字で考えているため本に必ずしも沿っているとは限らない。

この本を読んで自分が考えたことだと思って欲しい。

 

この本では自由は二種類あると述べている。

「消極的な自由」と「積極的な自由」だ。

消極的な自由:「~からの自由」といった既存のものから逃れる姿勢。(from)

積極的な自由:「~への自由」といった目的を自分で設定する姿勢。(to)

 

消極的な自由を求めるのはあまりよろしくない。なぜなら、自分の人生を既存の問題解決に費やしかねないからだ。例えば、アベノセイダーズは現政権の一強が終わることを目的としている。現政権からの自由だ。

既存の問題にただでさ短い人生をかけるのも悪くはないが、その問題がなかったらどうしたいのか一度考えて見てはどうだろうか。そして、自分のやりたいことに優先順位をつけてみよう。これは、人生の設計からなくせないということが優先順位の上位にくる。

 

「積極的な自由」こそが本当の自由である。

「積極的な自由」は「~への自由」だ。わかりにくいなら、「~のための自由」と考えてもよい。実際、翻訳するひとによって違う。

積極的な自由とは著者が定義している。わかりやすくすために伏線を敷き長めに引用する。

われわれの社会においては、感情は一般的に元気を失っている。どのような創造的思考もー他のどの創造的活動と同じようにーー感情と密接に結び合っていることは疑う余地がないのに、感情なしに考え、生きることが理想とされている。「感情的」とは、不健全で不均等ということと同じになってしまった。

 

あるいは個人が独立した自我として存在しながら、しかも孤独ではなく、世界や他人や自然と結びあっているような、積極的な自由の状態があるのだろうか。………

 

人間のパーソナリティ全体の実現、かれの感情的知的な諸能力の積極的知的な諸能力の積極的な表現によって成し遂げられると信ずる。………いいかえれば、積極的な自由は全的統一的なパーソナリティの自発的な行為のうちに存する。

 

自発的な行為は、個人が孤独や無力によってかり立てられるような脅迫的なものではない。………

小さな子どもたちは自発性のもう一つの例である。かれらは本当に自分のものを感じ、考える能力をもっている。この自発性はかれらが話したり考えたりすることのうちに、またかれらの顔に表現される感情のうちに、またかれらの顔に表現される感情のうちにみられる。

[引用:自由からの逃走 第七章 自由とデモクラシー]

この本は難しいので自分の説明がもわかりにくいが、興味のある人は本をぜひ読んで欲しい。もし読んでるときに投げ出しそうになったら、第七章から読むことをおすすめする。 

 

引用の説明というか、自分の解釈を説明していく。

積極的な自由は自発的な行為のうちに存する。自発性とは「他からの教示や影響によるのでなく、内部の原因・力によって思考・行為がなされること(広辞苑)」自発的は自発性の意味と大差ないと思う。

この自発性は著者のいう独創的に似ている。

独創的とは、くりかえしていえば、ある考えが以前にだれか他人によって考えられなかったということではなく、それが個人のなかではじまっているということ、すなわちその考えが自分自身の活動の結果がであり、その意味でかれの思想であるということを意味する。

[引用:自由からの逃走 第七章 自由とデモクラシー]

ここに消極的な自由があまりよろしくない理由がある。つまり、社会問題は自分で考えたものではなく、ある程度受け継いでいるのだ。どれほどの人が、格差・貧困・差別・地球温暖化などSDGsで改善すべき問題が問題の理由を自分なりに答えられるのだろうか。

そんな問題の解決が人生の優先順位第一の人がどれほどいるのか。(注意:既存の問題に取り組まなくていいとは言っていない、勘違いしないで欲しい)もう一度考えて欲しい。

 

自由研究の中間発表

自由の必要条件は、「人生で重要な選択は必ず自発的な選択に基づくこと」だ。そうでなければ、自分の人生を生きているといえるのだろうか。否、私はそうは思わない。

最後に筆者のこの本を読んで自発的な選択ではなかったことについて述べる

自分は幸せの追求も自発的な選択ではないと思っている。幸せが具体的にどんな感情かも知らないのにどうやって追求できるのだろうか。幸せが何かも知らないのに盲目的に追求する姿勢こそ他人本位な生き方だと思う。自分は幸せの追求よりも真理の探究をしその真理という理想を実現したい。幸せはそれが実現したときの総称かinterestingな感情で人生を過ごせたとき「幸せな人生だった」と死ぬときに使う。

幸せの研究はしていないが、幸せとは複合的な感情だと思う。単体で味わえる感情とはいえないと、自分は思っている。

幸せ=美味しい・楽しい・落ち着くなど様々な感情が合わさったもの

この経験をソクラテスに習い「不自由の知」とでも名付けようか。

 終わりに

以上が自由研究をするきっかけになった話とそこから考えたことだ。自由研究は様々な条件があると思うのでこれは結論ではない。引き続き自由研究し続ける。

最初から最後まで自分のわかりにくい文章に付き合ってくれたのならこの上なく嬉しい。また、この話が読者の方々の自由に貢献できれば幸いだ。

わかりにくいが、筆者の言いたいことに興味がある読者は字幕でTED Talks 「親切で、優しい成功哲学」 Alain de Bottonを見るのをすすめる。本と違ってネットで無料で見れる。

 

筆者の考えに批判的な人がいるだろが、それは考え方が違うだけだ。ここでは説明しきれていない筆者の意見を聞く気があるなら、批判内容を聞くし共に議論をしよう。

 

 

 

思考源

本 「自由からの逃走」エーリッヒ・フロム  出版 東京創元社 

文章 家族が書いた場合の文章(人の文章に文脈を合わせようとするととあわせるために考えることになる)

TED Talks   「親切で、優しい成功哲学」 Alain de Botton

       「あなたに夢の仕事ができない理由」Larry Smith