自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

大学の課題 ~ウメとサクラ~

 大学のレポートが面白い感じのに出来上がったので、編集して公開します。

 内容は、ウメとサクラの比較を通してわかった日本文化の形成(古典の時代背景等)です。私もウメとサクラを比較して見ていましたが、辞典の著者たちの方がウメとサクラをくどいほど比較しているところに注目です。著者たちのくどい比較のおかげで古典の時代背景が、高校時代に知っていればよかったと思うほどよくわかります。

 どうでもいいですけど、ジブリ高畑勲監督の「かぐや姫」という映画のかぐや姫がサクラの下ではしゃぐワンシーンは、時代設定を平安時代以降にしているため、あのサクラは必然なのです。

 前置きはこの辺にして、読者の皆さんの教養を深める、もしくは思い出す機会になれば幸いです。

 

・「私にとってのウメとサクラ」

 私は、一番人気がありそうなものよりも、二番手に注目する性格である。例えば、姉妹で芸能人として活躍している広瀬すず広瀬アリスがいるが、私は広瀬すずがいるからこそ、広瀬アリスに注目している。この姉妹以外に、一番人気がありそうなものよりも、二番手で注目する関係のものは、サクラとウメがある。私は、サクラがあるからこそ、ウメに注目している。

 ウメに注目することで気づいたことが3点ある。まず、サクラと違いウメの花びらは割れていない点に気づいた。次に、ウメの花は枝から直接咲いているように見えるのに対し、サクラはそうではない点があげられる。(手元にあったサクラのつぼみの写真)

サクラ



 最後に、ウメに注目することで気づいた節気と旧暦と新暦の関係について触れる。

 東京のウメは、2月初めに最初に開花し始める春を告げるような花である。個人の感覚だと批判するのはまだ早い。お正月(新暦1月1日)の年賀状に冬真っただ中にも関わらず立春と書いたりする。実は新暦の2月1日の節分が旧暦のお正月にあたる。ウメの開花時期が2月初め(旧暦のお正月あたり)であることから、春を告げる花といって申し分ない。ここから、旧暦の名残でお正月(新暦1月1日)の年賀状に冬真っ只中であっても立春と書く文化が残っていると私はウメから解釈した。

 

 次に、「日本人にとってのウメとサクラ」について両者を比較しながら見ることで、ウメとサクラの文化的背景がわかることについて述べる。

 

「日本人にとってのウメとサクラ」

 観賞植物として中国原産のウメと日本原産といわれるサクラは、両者の日本との関わりを論ずる上で比較される。

 そのことが、園芸植物大辞典のウメの項目の北村四郎が執筆した項目〔ウメと日本美術〕、斎藤正二が執筆を項目〔ウメと日本文化〕から読み取れる。また、同上の辞典のサクラ属の項目の岩佐亮二が執筆した〔サクラ類の園芸文化史〕、北村四郎が執筆した〔サクラと日本美術〕、編集部が執筆した〔サクラと日本文化〕からも読み取れる。

以下、参考資料。(強調は筆者が行った)

〔ウメと日本美術〕

「ウメは中国では、1929年に牡丹に代わって国花となり、花木のうちの第1位とされている。サクラは日本では国花とされており、花木のうちの第1位であるが、絵や工芸に現れたのは、ウメ、マツ、タケ、ヨシ、キク、ボタン、サクラの順である。民族主義が高くなる時代はサクラが大きく取り上げられた。」

引用:北村四郎,1999(1994),『園芸植物大辞典1――コンパクト版』〔ウメと日本美術〕,小学館.

 

〔ウメと日本文化〕

『ウメが中国原産であることは明らかであり、・・・・・・。事実問題として、こんにち見るごとき美しい梅花の色や姿や芳香や、肉厚の梅の実は、日本人の手によって改良、開発された。牧野富太郎『植物記』が「ウメが上古に我邦に渡つた時は多分種類は一種か二種か極めて鮮なかった事が想像せらるる、又其後支那から変つた種類が来たとしても其れは僅かなものであつたであろうが、其れが今日では我日本で四百種類内外の品種数に達してゐる所を以て観れば其多数の変り品即ち園芸的品種は我邦で出来たものである」と述べているとおりである。日本人がウメを美しく豊麗に変えていったと同時に、ウメのほうもまた、みずから植物進化をとげながら、日本人の文学趣味や美意識を美しく豊かなものに変えていった。ウメの進化と、日本社会の進化とが、歩調や段階を一にしたという意味で、ウメこそは代表的な「日本の花木」である。・・・・・・。』『万葉集を通じて、ウメの歌は、118首もあって、サクラの歌44首を圧倒しているのも、それゆえだろうし、平安時代に入ってからも・・・・・・、国風文化の極致のように称される『古今和歌集』においてさえ「ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」(紀貫之)の「花」は梅花をさしていた。しかし、摂関時代の到来とともに、・・・・・・、ウメに代わってサクラが花の王座につくように変化する。「左近の梅」も、いつのまにか「左近の桜」に植え替えられてしまった。中世になると、・・・・・・、全体としては、ウメはサクラの下位に置かれた。ところが、近世期からは、庶民の間に広く起こった園芸ブームの一翼をになって、庭園花木から鉢植え(盆栽)にいたるまでを含めて、品種改良の努力が重ねられ、名実ともにそなわる「日本の花木」となっていく。』

引用:斎藤正二,1999(1994),『園芸植物大辞典1――コンパクト版』〔ウメと日本文化〕,小学館.

 

〔サクラと日本美術〕

「現代では一般に日本人のもっとも好きな花木はサクラであろうが、古代ではサクラよりもウメの詩歌や絵が多い。これは中国文化の影響であるが、それでも古代からサクラの詩歌や絵がある。中国にはサクラ類はあるが、詩文や絵にはほとんど取り上げず、サクラ好みは日本独特である。」

引用:北村四郎,1999(1994),『園芸植物大辞典1――コンパクト版』〔サクラと日本美術〕,小学館.

 

〔サクラと日本文化〕

平安時代になるとそれまでの中国文化崇拝の風潮から国風文化隆盛の時代となり、花の観賞の中心もウメからサクラへと移っていった。「花」といえば、ウメの花をさしていた奈良時代からやがてサクラをいうようになり、平安京紫宸殿南庭に植えられた左近の桜は、一説によると承和年間にウメからサクラへと植え替えられたといわれる。・・・・・・。サクラが上流階級から庶民にいたる日本人のすべてに愛されるようになり、この花が日本人のすべてに愛されるようになり、この花が日本人の心情や生活感覚にぴったりの花としてもてはやされ、「花は桜木人は武士」といわれるまでにサクラは日本人を象徴する花となった。』

編集部,1999(1994),『園芸植物大辞典1――コンパクト版』〔サクラと日本文化〕,小学館.

 以上の参考資料のようにかなりくどくウメとサクラの比較が行われている。

 

 添付資料より、表1のように歌集のウメの歌とサクラの歌の首数から、奈良時代の日本における中国文化から平安時代の日本における自国文化のへの傾倒へと、移り変わっていることがわかる。

 まず、ウメとサクラの比較が行われる時代的、文化的背景を説明する。ウメには中国原産であることから中国文化ともいえる。一方で、サクラは日本原産といわれることから日本文化ともいえる。ウメとサクラの関係を理解する上、奈良時代は積極的に中国文化が政治や文化に取り入れた。それに対して、平安時代遣唐使を廃止したこともあり日本文化への傾倒が見られる。奈良時代の中国文化の積極的な取り入れた文化のひとつにウメがあり、平安時代の日本文化の傾倒として日本原産といわれるサクラがある。中国文化から日本文化への移行を表現する手段として、ウメからサクラへの移行が用いられたとも解釈できる。平安時代の名残かは定かではないが、現代においても日本のイメージの象徴としてサクラが用いられがちであることに注意したい。

 添付資料から、日本人にとってのウメとサクラを考えてきた。その結論として、極端な表現を使えば、日本のイメージの象徴としてサクラを用いるとき、ウメが日本の絵や工芸でウメが描かれている点、園芸品種や食用としてのウメの品種改良の努力が日本人が行ってきた点を無視して、安直にサクラを日本のイメージの象徴として用いられているように映る。

 

 

ウメの歌

サクラの歌

万葉集奈良時代

118首

44首

古今和歌集平安時代)岩佐亮二[1]

18首

70首

花鳥画(698件)北村四郎調べ[2]

113件(約16%)

60件

 表1:万葉集古今和歌集に選ばれたウメと歌とサクラの歌の首数[3]

 

 その他にウメとサクラの大きな違いとして、サクラは観賞用が主であるが、梅は観賞用と食用として栽培されており、日本の食文化とも根強い関係がある。日本の花としてサクラをあげる人々にとっては皮肉であろうが、日の丸弁当の材料は米と梅干である点に注意したい。

 

終わりに

 ウメとサクラのどちらが日本の花木かの議論は、歴史的、文化的背景を踏まえて、両者を比較することにより、奈良時代の中国文化、平安時代の日本文化への傾倒のように時と共に移り変わる日本文化を知ることができる。これを踏まえると、民族主義への傾倒として日本原産といわれるサクラへの愛着、日本の象徴としてのサクラの記号化も読み取れる。

 このことから、日本の教養を身に付ける上で「日本人にとってのウメとサクラ」は良い題材といえそうだ。

 

脚注

[1] 岩佐亮二,1999(1994),『園芸植物大辞典1――コンパクト版』〔サクラ類の園芸文化史〕,小学館.

[2] 北村四郎,1999(1994),『園芸植物大辞典1――コンパクト版』〔ウメと日本美術〕,小学館.

[3]1999(1994),『園芸植物大辞典1――コンパクト版』「ウメ」「サクラ属」,小学館.より筆者作成。

 

以上になります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

付録

 日本では、松竹梅を順に位が高いという位置づけだが、中国では松竹梅は冬の雪の下等であっても緑を保ち、梅は寒中に咲くことから「歳寒三友」として縁起の良いものとされている。日本でも松竹梅で一緒に着物の柄等で用いられている。

 ただ注意欲しいのは、中国の歳寒三友としての松竹梅は順に位が高いという位置づけはない。松竹梅の順位付けは日本でなぜか用いられていものという点に注意して欲しい。

 植物は比べるものではない。