自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

雑談 ~実践から理論へ、理論から実践へ~

 皆さん、お久しぶりです。

 自由研究は、そうですね、静かに進んではいるとは思います。今は、自己中心的はナルシシズムといえるのではないか。私に、「自分を一番愛している」と自己肯定感があることを示した友人に対して、私は少し引き気味になってしまいましたが、それはナルシシズムを感じたからではなかろうかという風に考えました。で、『自己愛過激社会』という前に買った本とフロムの『悪について』を読み直している最中でございます。こんなブログをしている私もナルシストのように思えてしまいますが、私が誰であるかは私が知り得ることではない故、考えるのはやめておきましょう。

では、本題にはいります。

目次

実践から理論へ、理論から実践へ

実践から理論へ:焚火から化学へ立ち戻る

 現在、火と人間の文化史という火起こし、火起こし関連のもの、またその歴史などを実技込みで勉強しています。先生が辛口なのですが、当たり前のことを言ってるのと気づかされる部分もかなりあり勉強になっています。(「読み返してみてください、日本語がおかしいですよ」と言われましたね、、、図星すぎて当たり前のこと言われているのに立ち名乗るのに44分ぐらい時間がかかりました、苦笑。)

 ところで、焚火をすると燃やすものによって煙の多さが違います。(実は色も違います)なぜなのかあまり考えずに先生に質問してみたら「煙は水蒸気ですよ」と言われました。私は、高校時代は理系の物理だったので化学基礎だけでなく化学まで履修していましので、すごくこの質問をした自分が情けなく思ったんです。そう、燃焼を伴う化学式はだいたいH₂Oがでると教わりました。理論を実践へ当てはめられていない自分に気づいたのです。だから、自由研究をするみたいに熟考すれば煙は水分だと分かった可能性が非常に高いのに、質問してしまった自分が情けなかったです。

 ちなみに、調べたら木を燃焼させるときセルロースが燃えているそうなので化学式は以下のようになるそうです。

 もちろん、燃焼させれれば二酸化炭素がでるのは誰でも知っているし、化学式の基本である水をだすというのを知ってればこんな簡単な化学式はセルロースがわかってればつくれるんですよ。

理論から実践へ:需要と供給

 現在、私はミクロ経済学国際経済学などを勉強しています。ミクロ経済学だと需要と供給をずっとやっていて、国際経済学だとリカードの比較生産費説をやっていますね。もちろん、どちらも理論です。

 消費者側の需要は値段を落とせば上がります。生産者側の供給は一つ当たりの価格が高いとどんどん製造します。UNIQLOがどうせ値下げするのに定価を安く設定しないのは、需要(売上)を見ながら徐々に値段を落とすからだと推測されます。生産者側の供給は、一つ当たりの価格が高いとどんどん製造します。例えば、コロナがはやり始めた2020年のマスクとかいい例でしょう。最初はマスク一つあたりの高かったのでどんどん生産者が増えるました。最近はマスクの需要に供給がおいつきましたね。

 この需要が伸びない産業というのが農業です。皆さん、どんなに食料が生産されても満腹になると食べませんよね。農業といった食品系は需要に限界があります。需要に限界があるものの価格は非弾力性です。価格がかわっても売り上げはほとんど食品の場合かわりません。だって、砂糖1キロ100円で売られてても、消費者である読者の皆さんは大量に買わないでしょ。砂糖100キロ10000円なんてね。(砂糖は調味料とか言わんといて)さっき説明したUNIQLOの服は価格弾力性が砂糖といった調味料や食品と違いあります。価格と共に需要が増えます。

以上がミクロ経済学の私の理論から実践へでした。

実践が先の方がいいが、理論から教える場合に例えが重要だ

 しかし、高校の授業で例えを出されたのはとても少なかった。そう、「こんなこと学んで何に役立つんだ」と思わせてしまう授業の仕方はやはり問題があると思います。実践が先でも理論が先でもいいとは思います。ベストな教育方法はサンドウィッチの構造で教えることでしょう。実践の伴う教育の場合、一人一人が実例を知っていますが、理論から実践の順で教える場合は例えを持ち出すことをおろそかにしてはいけません。しかも、個人で実践してねとか確実性にかける。わかりやすい文章を作成するときに簡単な言葉と文法通りの文章で作成するのも重要ですが、わかりやすい例えが何よりも重要です。ここに今の詰め込み教育の限界があると私は思いますね。だって、「人間は考える葦である」とか「われ思う故にわれあり」とかわからないでしょ。私も前者は何言われてるのかわかりませんよ。

 

簡単そうは簡単なのか?、難しそうは難しいのか?

 フェザースティック、日本では古来、削りかけ、削り花とも呼ばれ、アイヌ民族ではイナウとも呼ばれている焚火の最初に使うナイフで加工してつくるものは、作るのが簡単そうに見えながら力のコントロールができない人には簡単に作れません。誰かがが簡単にファイア―スターター(メタルマッチ)で着火できても、自分でやってみると全然着火できなかったりします。一方で、自分がなんとか火打ち石で着火させても、初めてのやった人が自分よりかとってもはやく着火できたりします。

 一方で、三階建てくらいの大学の建物をフリークライミングしていたとかいう話を聞くとすごいなと思います。実際やってみると案外屋上まで簡単に登れたりします。哲学的とか答えのない問いといわれる自由も考えてみる、思っていたよりは自由を捉えることができます。

 前者は簡単と思うので挑戦し、できず自信を失います。簡単そうに見えてできないのかと。できても、当たり前のことができた、やったーぐらいで終わりです。一方で、後者は、すごいという感情の裏に潜む、不確実性などを考えて挑戦はあまりしません。なので、すごいはすごいのままです。挑戦してみてできると自分でもできるんだと自己肯定感があがり、嬉しくなります。この二つの挑戦と挫折で味わう感情はちょっと違います。簡単そうに見えることは挑戦回数が多く、簡単そうに見えないことは挑戦回数がゼロに等しいです。恐らくそれは私だけじゃないでしょう。今まで登頂された8000メートル級の山々の登頂達成率や、東大の倍率は難しそうによって出された倍率です。

自分の実力、そして達成するために必要な能力は何かを具体的に把握していないと、できることもできないと勘違いすることになるので、挑戦はしてみるもんだなと思いました。

簡単そうは、簡単なのか?

難しそうは、難しいのか?

それぐらい知っておきたいですが、体験至上主義と揶揄される可能性は否めませんね。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。ちなみに、誤字脱字や日本語がおかしいということは対して気にしていませんが、話の順序は気を使っておりますゆえ、温かい目で見守る、もしくは読んでただけると嬉しいですね。

 

 

付録

問題:参加と参画の違いはなんでしょうか?

これがわからないと男女共同参画を正確にはわからないということになるのでしっかり考えましょう。私も知りませんでした。