自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

楽しみの源泉を

 現在は、不動産の勉強をしています(まぎれもない金融の分野です)。たまに、「なんで、不動産なのか?」と聞かれることがあります。簡潔にいうと、人は浮いていることができないので、必ず自分の立つ分だけ、寝る分だけ、座る分だけは土地が必要です。しかしながら、土地というのは、借りるか、買うか、公共か、居候させてもらうか、不法侵入かのどれかしかできません。人は浮けないので絶対に土地が必要ですし、なくならないものです。といった感じで答えるわけですが、面白いのが「浮けない」という言葉を使うと聞いた人は「・・・」といったフリーズ状態になってしまいます。反応が面白いので、他の言葉を使うのに乗り気にはなれませんが、変えた方がよさそうです。

 それは、さておき、不動産の勉強の面白さについて語りたいと思います。不動産は、言わずとも資産の一つでありまして、一般的な家庭にとって最も高い買い物といって間違いないでしょう。税制、立地、資産価値、町並み等、色々見る点があります。

 これの面白いところは、町並みというのは法律の影響が色濃く反映されている思われます。そのため、ある程度法律を知っていれば、銀座や足立区、大阪の梅田、東京の新宿、京都の京都市の町並みが、なぜあのようになっているのかわかったりします。この点は、勉強したくなる理由の一つです。

 そもそも、不動産でできる町並みは自然の影響を必ず受けています。そのため、現在は、不動産、町並み、家をつくろうと思う背景にある環境を学びたいなと思っているところであります。

 

 なんと言いますか、私は、手に取ったものを考察する癖があります。例えば、ピスタチオとマカデミアナッツを殻をむきながら食べていて、どうやってこの実はなっているのだろう、と考えはじめ、ピーナッツは豆類なのに、なぜ、ナッツ(木の実)という名称が用いられているのか考えを膨らませます。この発見する時もいい気分になれるポイントでありますが、これを人に説明するというのもいい気分になれるポイントです。

 不動産は手に取れるわけではありませんが、十分に観察し、考察できるほど街にあふれかえっております。私は、都市に住んでいるため、自然は豊かではありませんが、不動産は豊かにあります。そう考えると、目に入るものに興味関心を示す私の性質を踏まえれば、不動産に興味を示すのは、全然ありえたことといえましょう。

 

 不動産と都市を考えていて面白い点というのは、この農地から離れても人々の生活を成り立たせるために、この運搬の発達、家畜、農業の生産を思い出し、ありがたみを噛みしめたくなります。非常によくできている。ですから、都市というのが機能するためには、ある程度の運搬が可能になり、食料が十分に生産できなければならないのです。いつだ、いつから都市があるんだと歴史に思いをはせたくなりますが、まあ、結構前からあります。

 これだけでも、十分に面白いのですが、さらに面白いのが不動産はその名の通り、不動ですから、写真や動画で今まで見てきた数々の町並みというのは自分で足を運んで見に行かなければなりません。ヨーロッパの町並みには憧れがあります。なんといったて、空襲されなかったし、古い街並みを大切にしているから、古い町並みが残っているんですよ。いかねば見れない。いかねばと思います。

 何が言いたいかといいますと、不動産は非常に環境や法律に影響されて形作られているため、比較が容易にできる点が非常に面白いです。それを見つけて、説明できればいい気分になります。世界は広いですので色々なところにいきたいですね。

 不動産の勉強というのは、すればするほど、色々わかり、色々な見方を持つことができ、さらに環境や法律、地学、地理を勉強すればもっとよくわかるところが面白いです。また、前に勉強したことをつなぎ合わせて網目のようにすることができます。もっと勉強すれば、もっとよくわかり、もっとよくわかれば、もっとよくわかる、もっとよくわかるようになったら違う地域がどうなっているのか見に行こう、というプラスな循環がなんとも芳醇な気持ちにさせます。そのせいで、大学の単位の上限と資格の勉強の優先順位がこんがらがってくるというのの対応が何ともつらいですが。

 

 勉強して、不動産見て、不動産説明できるようになって、誰かのために不動産を英語で説明して、別の地域にいったときに誰かに不動産の説明をしてもらい、意図的にinterestingを何度も連発できるように勉強したいと思います。

 

付録 FIREを達成した人々のその後を古代ギリシア人がどう思うのか想像しよう

 テレビを見ていたら面白い特集がされていた。その内容は、FIREを達成した人々のその後、という内容である。FIREとは、ある程度の不労所得が死ぬまで見込まれ、働く必要がなくなった人をFIREと捉えられる(定義は知らない)。

 何が面白かったかたというと、死ぬまで不労所得が見込まれ、一定の経済的自由を達成し、古代ギリシャでいうなら自由人(必然に囚われていない人)の要件を満たすにも関わらず、精神面で不調をきたしカウンセリングに行ったり、再就職した。自由人になったときに、労働を望むというのは中々である。ちなみに、その労働の種類というのは金融関係だそうだ。34歳でFIREを達成できるぐらいですから、軍資金があるか、相当リスクをとって上手くいかないと中々できることではないので、それやあ、金融の素質があるでしょうね、と思いましたが。

 必然に囚われなくなったFIREを遂げた人々のその後は、芸術、音楽等でもなく、工作でもなく、政治家に携わるわけでもない。古代ギリシャ人が彼らをどう見るのか考えると実に面白い。