自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

視点 ~木造や石造りから見る文化と環境~

 ヨーロッパ系には永遠という概念がある。例えば、古代ギリシア人たちの永遠という概念、キリスト教に見られる復活の概念などがあげられる。浜本隆志の『窓の思想史――日本とヨーロッパの建築表象論――』によれば、石造りから永遠という概念が伺えると主張する。その背景の一つとして、建築資材がとくにイタリアの地中海では気が育たない環境のため豊富にある石材に目が向けられたことがあげられる。石材の永遠さというのは、数々の遺跡が物語っているのではないかと思う。また、石造りが可能であった理由はヨーロッパの地震がないこともある。

 日本というか、仏教には諸行無常の概念がある。これを変わらないものなどない、という意味では私は覚えている。前述のヨーロッパ系の永遠の概念とは真逆の概念だと思う。日本の建築の文化に背景にある、環境要因は、まず地震があげられる。地震で幾度となく建築物は破壊されてきた。永遠など信じられるはずもない。また、木材が豊富にあったこと、湿気との兼ね合いで木材が建築資材として主流だ。しかし、腐敗等は石材と違って免れない。そのため、ヨーロッパの石造りの建築物から永遠という概念を見いだすのは望みがあるかもしれないが、日本の木造りの建築物から永遠を見いだすのは困難であるが、諸行無常のという概念は実態に即しているため見出しやすければ、理解もしやすく、なじみやすい。

 

 衣食住といった生活は、環境の在り方に根差しているためこのような違いがあるのだろう。自然にはあらがえないため、対応してきた形跡が建築物には如実に現れていると思う。ちなみに、日本の建築が欧米化により対応してきた点としては、引き窓があげれるが、残念ながらこれは湿気で結露を起こすため日本の湿気という気候には完全に対応しきれていない。さらに、ヨーロッパでは恐らくいない蚊が日本にはいるのはご承知の通りだと思う。これに対応してきたのが、網戸であった。しかし、近年の新築の戸建て住宅に網戸が見られなくなってきている。とりわけ、ヨーロッパに見られるような窓の場合、その傾向が顕著だったりする。夏といえば、蚊や虫がいる。夜には明かりをつけるのだから、虫は住宅の明かりに集まってくる。ゴキブリも入ってくる。家族に聞いたところ、網戸はオプションだそうだ。お金がないからか、虫と蚊に対応できるのか知らないが、昨今、新築の戸建て住宅の窓には網戸がない。いつか、日本の建築から網戸がなくなり、退化すると思うとぞっとする話である。

 

 ヨーロッパに長く滞在したこともないので憶測の話しにはなるが、日本の家屋の高さは、少なくとも昔は床座が前提というのを意識しなくてはならない。欧米人は身長が高く、椅子やテーブルがあったためそれらを使用した上でも開放感を求めるならば、天井の高くなければ開放感はない。日本の家屋の高さは若干低いように思うが、床座であったことを考えて、床に座ってみると確かに椅子に座っているときよりも開放感がある。

 そんなことを言ったら、生活様式が欧米化して椅子に座るのだから、天井が高くないと圧迫感を感じるってことでしょ、なら天井を高くしたい、と思われた方々には申し訳ないが、残念ながら日本の建築基準は用途地域によって10m~12mと高さの上限が決まっているかつ、日照の妨げにならないよう注意せねばならないため、ことはそう簡単な話ではないことは申し添えておこう。

 

 とりわけ、建築物といった環境との対応が必要なものは、グローバル化とは相反するという自覚がなければ、不便、不快を自ら助長しかねない。注意すべき案件である。