本記事のエピグラフ
知ることと楽しみの関係は一通りではない。知識が映画や小説の楽しみを深めるということはすでに指摘した。つまり、知識は楽しみをより大きくしてくれる。そればかりか、知ることそのものが楽しみでもある。知ることにより、これまでバラバラだったことがらがきれいにつながって「世界が晴れ上がる」感じがする。あるいは、日常の当たり前だと思っていたことがらの根底に、深い秘密が潜んでいることを知って、世界がまるっきり違う仕方で見えてくる。この楽しみ(アカデミック・ハイ)は捨てがたい。
窓について話したい事がたくさんある。今回は、スタジオジブリのアニメーション映画の「耳をすませば」の窓のワンシーンから教養が深まる話をしていきたい。
「耳をすませば」というアニメ映画では、中学3年生の団地住まいの主人公の雫と、天沢聖司の2人の恋愛ドラマと自分に何が向ているのか試すという人間ドラマが描かれている。天沢聖司はバイオリンづくりの職人になるべく努力している。雫は彼から刺激を受け、小説を作った、というのが大まかな映画の流れである。
今回とりあげるシーンは以下の静止画のちょい前のシーンであるが、せっかく無料なので出してみた。なお、以下の静止画は(URL:耳をすませば - スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI)から拝借している。このシーンは映画の最後の方のシーンである。
本当は窓のシーンを見せたかったが持ってこれなかった。申し訳ない。
寒い冬の夜明け前、団地の四階あたりに住んでいる雫は寝ていたが、なぜか起きて窓を開けてみる。すると、なぜだか自転車に乗った天沢聖司が団地の下にいた。それに驚いた雫は、天沢のジェスチャーを受けて下に降りた。天沢の指示で自転車の後ろに乗ると、天沢はある場所に向けてペダルをこぎ始めた。天沢は雫を後ろに乗せ自転車をこぎながら、なぜ今日本いるのか、雫のことを心の中で呼んでいたら、窓から顔を出したので本当に驚いたという話をする。
「耳をすませば」のワンシーンを説明したところで、この「寒い冬の夜明け前、団地の四階あたりに住んでいる雫は寝ていたが、なぜか起きて窓を開けてみる。すると、なぜだか自転車に乗った天沢聖司が団地の下にいた。それに驚いた雫は、天沢のジェスチャーを受けて下に降りた。…天沢は雫を後ろに乗せ自転車をこぎながら、…雫のことを心の中で呼んでいたら、窓から顔を出したので本当に驚いたという話をする。」というシーンの場面設定と意図から、教養を深まる話をしたい。
なお、ここから浜本隆志の『「窓」の思想史――日本とヨーロッパの建築表象論』の内容が出典の話しである。
窓から外を眺める女性と、外から言い寄る男性という構図はギリシャ神話から始まる。ミュケナイ王のアルクメネという身持ちの堅い美しい娘にはアムピトリュオンという婚約者(夫)がいる。ゼウスは彼女に度々言い寄るものの全て断られた。ある時、アムピトリュオンが出征中のとき、ゼウスは彼に変装して彼女の部屋に忍び込み、思いを遂げることに成功する。帰ってきたアムピトリュオンが窓から梯子でアルクメネのいる部屋に入ろうとしたとき、ゼウスと鉢合わせした。
古代ギリシャ以降、「窓辺の女性と男性の構図がクローズアップされるのは、中世の騎士道精神が華やかな時代になってからである」。この時代の構図は、ディズニーのアニメーション映画の題材にもなった「塔の上のラプンツェル」の原作にあたるラプンツェルにも影響を与えた。その後も、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の「ロミオどうしてあなたはロミオなの?」のバルコニーのシーンも同様に窓辺の女性と男性の構図である。
引用:浜本隆志,『「窓」の思想史――日本とヨーロッパの建築表象論』
窓辺の女性と男性の構図に「耳をすませば」のシーンをあてはめてみる。
「耳をすませば」の団地の4階あたりから顔を出す雫と、団地の下で天沢聖司が心の中で雫の名前を呼びながら待つシーンは、窓辺の女性と恋心のある男性の構図にあてはまるといえる。
ちなみに、この窓辺の女性と男性の構図はヨーロッパの飾り窓のみならず、江戸の吉原でも見受けられる。
【補足】
この窓辺の女性と男性という構図は日本の夜這い、あいびきでは一般的でなかった。理由は、第一に日本は地震大国であるため垂直に伸びた構造の建物はほぼない。第二に、窓はヨーロッパで発展したものであり、近代以前の日本の建築物に窓は用いられていなかった。以上の二つの理由から、窓辺の女性と男性という構図が一般的でなかった理由と考えられる。
以上で「耳をすませば」のワンシーンの窓から教養が深まる話を終わります。
スタジオジブリ「耳をすませば」のアニメーション映画の故近藤喜文監督及び、その他スタッフに教養の高さを感じました。
以上になります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。