このブログについて
「自由」とは、何だろうか。
得体がしれないにも関わらず人類が求めてやまない魅惑のもの。
「幸せ」と並んで正体不明の二大巨頭である「自由」について考えたいと思う。
語呂が良いのでこのブログ名は「自由研究」だ。
英語では[Independent reserch ]と訳す。
キャッチコピー
「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」
注意点
自分は未熟故、読者はブログの内容が脱線だらけでも留意すること。
誤字脱字、日本語の間違いは頻繁にあるのを先に言っておく。
また、事実が間違っているときは引用元を提示して指摘してほしい。
最後に、このブログは私の自由研究だが読者の自由研究にも役立てば幸いだ。
追記(2020年7月3日)
自由研究の英語訳は筆者の趣向からいって誤訳になっている。
多分、[reserching liberty]の方がよかったと思うが、いまさらURLは変えられないのでこのままいく。
追記 (2021年2月19日)
多分、自由研究を英訳する場合こっちの方がいいかもしれない
Inquiry-based learning
追記(2020年7月7日)
このブログはかなり主張強めなのは、筆者の性であり性格診断で討論者(ENTP-T)なのだからしょうがない。発言するときのポリシーが3つある。
不確かな持論を持つ思想家の道を辿れ。自らの考えを論争の脅威にさらけだせ。率直に意見を述べ、変わり者のレッテルよりも、従順という汚名を恐れよ。そして、自分にとって重要に見える問題のために立ち上がり、どんな困難にも立ち向かえ。
Thomas・J・Watoson
批判する人に価値は無い。観客席から行動した人間を指さしてどうすれば良かったかどんな風に躓き失敗したかを指摘するだけの人に価値は無い。埃と血と汗にまみれて努力した競技場に立つ人に名誉は与えられるのだ。競技場に立つ人は上手くいけば勝利を得るし、失敗すれば敗北する。しかし、失敗し敗北したとしてもそれは果敢に挑んだ結果なのだ。
「あなたが私の話を聞いて表現しようとしたことに、口を挟む気はない。やりたいようにやって欲しい」と。自分が表現者だからこそ、他人の個性も尊重する。
引用元あり