自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

視点 ~なぜ、面倒と思ったのだろうか~

 「面倒くさがり屋だから合理的に考える能力がある」という話ではなく、面倒だと思い行動を後回しにしたとき、その理由は具体的なのだろうか。なぜ面倒だと感じるのかふと立ち止まって考えたことはあるだろうか、というのが今回のテーマだ。

遠足は家に帰るまで、洗い物は食器をしまうまで

 家で食器を洗わないからキッチンを使うなとよく言われている。この件で何度怒られたかわからないが、今回の報復はただでは済まなそう。愚痴はおいておいて、使った食器を洗わなくてはいけないわけだが、しようと思っても家族に「洗い物は食器をしまうまで」と定義されていなければ、洗い物をしようと思っても家族が洗った食器がまだ洗った食器を乗っけるところに残っている。そして、家族は食器をしまわない。食器を半分しまって欲しいと兄弟にいっても、「何もしていなくせに、食器をしまえとか何自分のこと棚に上げてんの、それぐらいやってよ」これにプラスアルファで「自分のだけ洗ってしまえば、怒られないよ」と正論をいいつつも自分の食器すらしまわない、ということをやられる。私の方が確かに金銭面、過去に家族に色々やってもらっているため私の正論は一切通らない。家族は論理よりも怒りというか過去の負担を主張する。(分担をすればいいわけだが昔は分担をすると私の負担はあがった。しかし、ここ最近明らかに分担した方が得になりつつある。)愚痴はおいておいて、私は食器をかたして食器を洗わないといけないわけだが、面倒だと思ったのだ。で、さきほどあげたようになぜ食器を彼らは片付けないのか「洗い物は食器をしまうまで」という定義がなされていなのかと考え始める。どうしようもないので、染み抜きの用のお湯を沸かしている間だけ食器を片付けようと思ったら、案外すぐ食器を片付けられるということがわかった。私が満杯だと思っている食器を片付けるのにかかる時間はティファ―ルでお湯を1.2Lわかす間で片付けられるのだ。しかし、そんなことも私は知らなった。分担の面で心残りはあるが、面倒な食器の片付けは思っていたより短時間で終わり、「あれ全然すぐ終わった、なぜ面倒だと思ったんだろか」と考えた。つまり、面倒と思った理由は非常に具体性にかけていたのだ。

なぜ課題を面倒と思ったのだろか

具体的な理由で面倒

・物理の課題で教科書の写経をおこうノートまとめは確かにどれぐらいやらないといけないのか知った上で面倒だった。

漠然とわからないから面倒

・数学系の課題は、なぜ間違ったのか、なぜわからないのか考えなくてはいけないので私は嫌いだ。課題がたまればたまるほど、一問を早く解かなくてはいけないのに公式、類題を振り返ってもスムーズに解けないので嫌いだった。

・私と同じ理数系の子が文系は答えがないから嫌いだと言っていた。自由とは何なのか考えないかと友達を誘えば「自由か、重いね」と言われる。何が分からないのか、分かっていないから面倒だと考えるのではないだろうか。

・院に進学するならば英語の勉強をしなくてはいけない。しないならば、就職の準備をしなくていはいけないわけだが、何をしたらいいのかわからないので面倒だ。

・学期末に差し掛かれれば、差し掛かるほど大学の課題はできるだけ、コンスタントにやらなくてはいけない。学期末課題に時間と余力を残さないといけないからだ。だが、学期末課題がいつでて、いつ締め切りなのかわからず、ずるずると課題は先送りされて学期末課題分の余白は残されていない。

ここからは大学の愚痴

 漠然と分からない系の問題は情報収集をすれば済むのと、いちいち人づてに聞かないとわからないという面倒が待っている。大学の課題は課題公表日を第何講義とシラバスに明示してくれればいいのにと思うばかり。大学の先生曰く、環境を変えるのは難しいらしいがさすがにやるべきこともあるはずだ。

 自分に懐疑的になっておかしいことをおかしいと言えなくするような社会、会社、学校は決定権はあくまでこちらにあるから気にせず抗議してきなさいとでも言って欲しい。

 ジョージ・オーウェルの自由とは「2+2=4」と言える実証主義啓蒙主義が自由であるとは確かになと思う。私がやろうとしている大学の学問の自由のための資金源の確保は、実証主義啓蒙主義のための自由を求めているといえるだろう。

 そして自由主義は、近現代の理念である、民主主義、個人主義啓蒙主義実証主義、資本主義、それを実現、促進するための自由主義なのではないかと考えている。

結び

面倒と思うのは、具体的に行程ををしっている場合と、知らない場合がある場合がある。誰かに、ものを頼むときは具体的に、どれぐらいの時間を要するのか言っておくとよいかもしれない。料理のレシピぐらい詳しければなおよい。

大学のダメさに関しては、仕組みを享受しようとしかしていない自分を認識したら、手間を把握して仕組みを構築する側に自分が移る必要がある。

負担が明確化していない我が家は、分担は難しい。そして、手間だ。自由でも考えて現実逃避をすることにしよう。

 

 

以上になります。愚痴を含め最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

 

付録

ちなみに、七つの大罪は「怠惰」もあったようです。

怠惰に打ち勝つのは中々容易ではない。