自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

雑談 語源と不動産

はじめに

・思考の導入と備忘録

 自由を支配と関連させずに概念化することは可能なのか。自由を支配と関連させないで述べている時代はあるのか。自由は独立した概念なのか、支配と対局として生まれた概念なのか。自由は自在とだけで説明可能なのか。

 では、libertyの語源は何なのだろうかと考えていました。子どもlouberos、らしいのですが、保留にしようと思います。子どもlouberosの語源はなんだろうとなりますが。

 で、雑談の語源と不動産につながります。

 

本題 語源と不動産

 人間の語源は何なのかと思って調べてみたところ、humanの語源はこれだそうです。

 

印欧祖語 ghmo(大地の子)⇒ dheghom(地上)+-mo(人)が語源。


humus(地面)と同じ語源をもつ。

 

homo 意味と語源 – 語源英和辞典 (gogen-ejd.info)

 

 土地がきた、と思いました。

 homoは人と切り離すことができない土地という言葉から発生した言葉かと思うと感慨深いです。というのも、不動産に興味を持つきっかけは、「人は浮くことができないから、土地を所有するか、借りるか、居候するしかない」といった感じに説明を受けたことです。なんとも根源的で記憶に残っている説明です。これは、今でも不動産と人を考察する際に立ち返る考え方であるからです。

 土地と人間の関係を忘れてしまうと、建築様式や食べ物、衣服、文化、文学など人文的なものの考察にまず土地を踏まえることがなくなってしまいます。humanはそういった意味で土地と人間の関係があることを想起しやすいいい言葉だと思った所存です。 

 

 ちなみに、日本語の人間という言葉の成り立ちの説明で秀逸なものがあります。人は人の間に存在しているから、人は1人では存在できないから、みたいな説明を見たことがあります。土地と人間の関係を想起しずらいですが、この説明も好きです。

 

終わりに

 humanは土地が語源になっているということがわかって、やはり土地と人間は切り離せなと言い換えると、ジブリラピュタのシータの人は土地から離れてはいけなかった、という言葉を思い出しました。宮崎駿は結構サン=デグジュペリに影響を受けていて、『土地と人間』の後書きかなんか書いているのを知っていたので、今度、家にある『土地と人間』でも読もうと思いました。

 とはいっても、土地と切り離せないのは人間に限った話ではなくて、全ての動植物にあてはまることなんですけどね。

 

以上です。

雑談につきあっていただきありがとうございました。

 

付録

 低予算で自分の買いたいかもという服を買えるのが、古着屋のだいご味である。昔、古着屋は安いので着たい服をいっぱい買ったことがある。ところが、着たい服と着る服というのはどうやら違うようで、着たいけど着ない服は捨てることになった。

 古着屋に何度も行くことで古着屋で買っていい服という基準ができていった。古着屋で買って着れる服というのに、私はTシャツや黒い服は含めなくなった。というのも、Tシャツはよれやすいし、黒い服は色あせやすいからだ。

 そのため、白系やブルー系のワイシャツ系の服をよく買っていた。

 最近は、遠いので古着屋に行かなくなり、新品の服を買うようになったが、安心して服を買えるようになった。というのも、散々、古着屋で服を着たい服をかったおかげで、自分が着たい服と着る服が違うことがよくわかり、着る服が何かわかるようになったからだ。

 現在、着たい服ではなく着る服を買う基準に服を買うと、服を買う時に後ろめたさもなく悩まず同じ服を何枚も買うようになった。これについて、飽きないのかミニマリストなのかみたいな言葉が飛んできそうだが、「お前はある時から黄金比が美しく見えなくなるのか」と返せると思う。

 高い着ない服を買ってしまって箪笥のこやしにしている人は、ぜひ、古着屋でたくさん欲しい服を買って、着ないので捨てて、自分がどんな服を着ているのか明らかにしてみてはいかがだろうか。