自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

自由研究 ~焚火から考える空間共有の意義~

目次

 

友達や恋人と一緒にいるのにスマホをやるのって

 一応、コロナ禍といえどゴールデンウイークということもあり街中に若者が繰り出している。若者の集団、友達同士で遊びに来てる人たち、デートをしているカップルを観察していると目に留まるのが、「一緒にいるのにお互いスマホをいじっている」という空間共有しかしていない光景である。それが中学ぐらいからずっと気になっていて、せっかく一緒に遊ぶ、会う時間を作ったのにコミュニケーションをとらない関係って何なのだろうかと見るたびに思っていた。

沈黙を忌避する人間もいるんだってば

 ここでよく頭をよぎるのが「沈黙に耐えられない人は無理~」「沈黙でも大丈夫な人がいい」とありふれた他人の声である。私としては、空間共有に意味を感じていないため、意図しない沈黙が続くと一緒にいる意味を考えてしまい、挙句の果てに帰りたくなってくる。代表的な例は、登下校のときに対して仲良くもないが挨拶しないで追い抜かすわけにもいかない人が前にいたとき、しぶしぶ一定の距離を取りながら後ろからばれないようについていくという選択をせずに、安易に挨拶して話しかけてしまったが会話が思うように続かないときに感じるあの微妙な感覚が空間共有に意味を感じない代表で例である。だから、「沈黙に耐えられない人は無理~」「沈黙でも大丈夫な人がいい」って共感でる部分はわずかながらあるが共感できない。私にとって沈黙はいかに避けるかという対象だからである。(弁明しておけば、映画・ゲーム・スポーツといったアクティビティを共有している場合は沈黙でもいいと思っている)

焚火から考える空間共有の意義

 だが、焚火の授業のおかげで考え方が変わった。

 まず、会話の需要と供給の均衡点という考え方を思いつき、お互い喋りたくないときは喋らなくていいと思えるようになった。会話がない状況をお互いが承認しているからである。次に、空間共有というのは共同体において重要だと考えるようになった。あの、いつもいるから相談・話したいと思えばいつでも話せる、多分助けてもらえるだろうし、力になれるかわからないが相談には乗れるだろうという関係性が形成できる場として焚火があげられる。

 確かに、空白の時間は忌避したくなるかもしれないが、緊急とか、「今がいい」というのが入れる余地があると考えると空白も悪くない。

 では、焚火から何を学んだのか大学の課題を使って説明していく。先に断っておくとと、非常に感覚的な話のため焚火と長く親しんだ経験がない人は情景が思い浮かばないかもしれない。

焚火の空間演出

なぜか焚火は集団にひとつ

 対面授業を振り返って一番不思議に思っていることは、なぜか複数の焚火を作ろうとせず自然に一つの焚火を複数人で囲んでいたことだ。私の経験上、焚火に似た、キャンプファイヤーや囲炉裏、暖炉も大抵集団にひとつであり、二つ目はなかった。人々は鎮火を念頭においているのか、無鉄砲に火を大きくしない。集団において二個目の焚火は作らず、無駄に大きくしないため、焚火を身近で感じられるのは限られた人数である。焚火は小さく、二つ目がないため、一つの焚火に人が集まり小さいために人と人との距離が近い。どこかのレストランに行って四人テーブルに座ったとき、四人で二つの会話が同時並行でされないように、焚火でも人と人の距離が近いため自然と会話も一つであったような気がする。焚火の場合、隣の人と会話が合わなくても、人と人の距離が近いため別の人と話しやすい。なぜなら、近すぎて別の人たちの会話が聞こえ、よほど集中してない限り、興味関心がある話とかがあったらそっちの会話に参加してしまうからだ。

焚火がつくる空間演出

 また、新しい人が続々と焚火に近づいてくるため話相手に困らないず、相手に困ったら火の世話をするのでもよい。焚火は明かりや温まる役割も果たすため、焚火を感じられる範囲は開放的でありながら部屋にも似た空間が生まれる。知らない誰かしかいない部屋に入りにくいような閉鎖感は焚火にはなく、皆が焚火に注目しているため焚火という空間に人が出入りしても気にならない。焚火と親しむことが目的だからこそ、人やそれに伴ったコミュニケーションがさほど重要でなくなる。繰り返しになるが、焚火がつくる空間内では人と人との距離が近いことから焚火につき話題も一つであり、空間と話題を共有しているため人間関係も構築しやすいだろう。

焚火がつくる空間演出が人間関係に何をもたらすのか

 民族や集落がどのような生活を送っているのか私は知らないが、火を集団の中心においている限りは、よっぽどでない限り人間関係が疎遠になることはないように思う。人間関係が希薄になってきた現代社会で、焚火といった火を身近に感じる体験は重要な意味をもつ。その重要性が伝播したからこそ、現在のソロキャンプといったキャンプブームがおきているのかもしれない。(ここでソロキャンプを上げる必要はないのだが)

焚火から考える空間共有の意義

 以上が加筆修正した大学のレポートの内容である。

 焚火は焚火に親しむこと事態が目的になり、無理なく誰かと空間共有ができる。焚火がつくる空間演出により無理なく空間共有ができそれによって、前述の通り、あの、いつもいるから相談・話したいと思えばいつでも話せる、多分助けてもらえるだろうし、力になれるかわからないが相談には乗れるだろうという関係性が形成できる。この親しくもないが、赤の他人というわけでもないという微妙な関係性が私がもとめる共同体であり、現代の共同体の一つの在り方なのではなかろうか。

私が求める、現代に求められる共同体

 私が求める共同体とは、このよくわからない問題もあり少なからず魅力もある現代社会を生き抜く楽しむためには、必要とあらば相談する相談に乗る相互扶助や、喜びを共有する相手が必要だ。現代は引っ越しといった流動性が激しく、専門性も細分化されているため1人ではよろしくない。複数人必要であるからこその共同体という表現である。

 私は社会問題がたくさんあってどうやって自分のポジションをとればいいのかわからないときがある。公衆という共同体は公共性の構造転換などにより存在が確認できず、本質的・建設的な改善案がでる議論ができそうな関係を一から構築するのは難しい。だとしたら、今できそうなのは、このよくわからない社会にコミットメントすることから逃げないために、いざとなったら手を貸す、貸してくれる背中を押す・肩を貸す程度の相互扶助をする共同体を焚火で構築することならできそうである。

 

一緒にいるのにスマホをやるカップルや友人といる人々をみたら

 コロナ禍といえどゴールデンウイークということもあり街中に繰り出す若者の集団、友達同士で遊びに来てる人たち、デートをしているカップルが「一緒にいるのにお互いスマホをいじっている」という空間共有しかしていない光景が目に留まったときは、「ああ、この人たちはいざとなったときに軽い力添えしあう関係の構築中なのか」と思って温かい目でみようと思う。いや、ホント、私は安直だった。自分自身は家族以外の誰かといるときにスマホをいじらない姿勢は今後も変える予定はない。

 そして、焚火のいいところはよく喋る私が人に注目せず焚火に注目し世話をしているため、人が話す機会を奪わず、人の話を聞け、よく話すからと嫌われなくて済む状況が自然と生まれるところでもある(笑)。ただし、焚火は熱いので地域と時間、季節問わずできないのが欠点ではある。

 

 

以上になります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

付録 初心者向けの焚火のやりかた

【薪の準備】 

 はじめに、燃料を用意する際に、竹に似た葉っぱの夾竹桃を燃やすと猛毒で、簡単に人が死ぬので薪拾いの際は注意するようにと言っておく。ウルシの木、ケヤキユーカリにも注意したい。
 次に、散歩して着火剤である杉の葉、もしくは松の葉を用意する。枝をとってきて適度な長さに揃え、太さ別に枝を分類し、並べておく。この時、一発で火おこしができるとは限らないので何度も挑戦しやすいように、杉の葉と細目の枝を多めに用意しておくことと、近くに追加する薪がなさそうな場合、中太の枝も多めに集めておくとよい。ただし、一人でたくさんの薪はもっていけないので、参加者の協力が大切だ。

 薪の準備ができたら、細い枝だけを平行にそろえた塊をつくる。その下には、両手に乗り切らないぐらいの杉の葉を下におき、その上に細い枝の塊をのせる。


【火起こし】 

 薪の準備が整ったので、次に火起こしについて。
 わざわざ火起こしと言っているので、チャッカマンやライター、マッチはここでは使用しない。あらかじめ麻ひもは十分に切っておいておく。
 火溝式発火法、キリモミ式発火法、ヒモギリ式発火法、弓ギリ式発火法、マイギリ式発火法をすべて試してみる。私個人の持ち物の範囲内でやるならば、ヒモギリ式発火法とマイギリ式発火法ができる。作れば、キリモミ式発火法と弓切り式発火法もできる。できる方法を試したら摩擦の起こしやすさを、往復もしくは回転のしやすさと、力のかけやすさによるものだと学生に気づいてもいたいが、気づきがなさそうな場合、適宜説明を加える。誰でもできそうなヒモギリ式発火法で実際に実演する。落ち葉の上に火種をつくり、ほぐしておいた麻ひもにくるみ、火種が落ちないように回して火をつけてみる。同世代の学生にもやってもらい、用意しておいた杉の葉と細い枝でつくった薪に火を移せれば成功だ。このとき、早い者勝ちになってしまい、なかなか火おこしができない学生が気を落とさないようにと、二個目の焚火を作るのか観察するのも兼ねて、二個目の焚火でも作ってみたらとアドバイスしておく。


【火が付いてから後始末まで】 

 ただ、細い枝と杉の葉に火が付いたところで安心してはいられないため、徐々に太い枝をくべるとよいとアドバイスも必要だ。消えたらやり直せばいいだけの話。焚火をやると言えば勝手にマシュマロやら焚火で焼くものをもってくると期待したい。火が安定してきたら、温まりながら焚火を楽しみたい。どれぐらい火を大きくするかは個々人の自由ではあるが、薪をくべ続けるとなかなかおち火にならないため、頃合いを見てくべるのをやめる。

 鎮火の際は、念入りに水をかければ焚火の処理も完了だ。直火禁止の場所や、雨の次の日などは焚火台で焚火をすると着火がスムーズにいく。

 

 

 

思考源

・友達や恋人と一緒にいるのにスマホをする人々

・13,4回にわたる焚火の経験と時間

・大学のレポート

・共同体

 

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