自由研究

「自由が何か知らなきゃ手に入らないので自由研究してます。」              自由研究という目的のために話題を取り上げているため記事単体で読んでもよくわからない時がある 記事によって後日追記したり添削しているときがある

年紀と時代という視点

このタイトルを作るために結構調べた。歴史の授業で西暦何年か覚えさせられたが「西暦何年」というのは、どうやら年号・年表・紀元・年代という言葉は適当でないみたいだ。いったいこの「西暦何年」を表す言葉は何なのからないが、多分年紀だと思う。

今回の内容は年紀を覚えれば歴史の比較ができて面白いけど、年紀とか時代って忘れがちだ。実は私、近代と言われてもどこの時代かわからないから西暦で言ってくれよ、と思っていたがその問題が解消できたので記事にしようと思った。

 

社会学が分析するのは近代以降の近代社会

前期の授業で社会学は近代以降の社会を分析する学問です、と言われなぜだか考えていたら後期の最初の授業でその理由がわかった。その理由のおかげで近代がいつ頃なのかも覚えられた。

 

近代とは

ー王による統治(絶対王政)が終わり、市民によって政治が担われるようになった時代

・フランスではフランス革命(1789)以降の時代

・日本では明治維新(1867)以降の時代

近代社会とは

フランス革命以降、19世紀西洋に現れた社会に見られるような特徴を備えた社会

 

で、なぜ社会学は近代社会以降が対象なのかという話だ。

社会学という言葉はコント(A. Comte)が『実証哲学講義』(1839)の中で用いた”社会を対象化して実証的に考察しよう”と提言。フランス革命により古い権威が否定され、市民が運営する民主主義に基づいた社会が目指されたが、なかなか安定しなかったため、近代社会の現実を分析し、課題解決を目指す学問として成立した。

だから、フランス革命が近代という時代の始まりである。なぜなら、社会の仕組みが大きく変わったから。日本の近代は明治維新以降といわれるのも社会の仕組みが江戸幕府から市民によって政治が担われるようになったから。しかし、権威が江戸幕府から朝廷に移行して士農工商がなくなり代わりに華族天皇が表に出てきたわけだから、近代社会という言葉を使うのは部分的にしかできない。

どこが覚えやすいのかというと、近代は封建制度の廃止に伴うもの。だから、フランス革命明治維新がきっかけとなりそれ以降を近代と呼ぶと考えられるから。

近代のきっかけがわかると、近代社会の諸側面では何を理念として何が変わっていったのかが把握できるため、E.フロムの本もそうだが大正デモクラシーも考察しやすくなる。経済では資本主義、政治では民主主義、文化では啓蒙主義実証主義、人と人とのつながりでは個人主義自由主義という理念が掲げられ、産業化・民主化・合理化・世俗化・個人化が進んだ。で、社会で何が起こったのか?という視点で見れば本に書いてあることがわかりやすくなるわけだ。前回のアバンギャルドの作家たちの話もそうだが個人主義に焦点を当てると夏目漱石の「私の個人主義」(大正3年)を思い出す。夏目漱石は明治時代に渡英させてもらって文豪の地位を築いて幸い?にも49歳(大正5年)で亡くなる(失礼ですね)。彼は坊ちゃんでも分かるように先生になったり渡英したりして個人主義を満喫し、推奨までしている。明治にいい席に座ったのは黒田清輝もそうだが夏目漱石も当てはまる。

近代のきっかけが分かり、英語を読む時や哲学の本を読む時みたいに読めるがまったく内容が入ってこないという様なことが、少しはなくなるはずなので喜ばしい限りだ。

 

 

ドメスティケーションで覚える紀元前

動物と人間の関係史という講義を履修していて、人間がどんな風に動物を家畜化していったのかという内容を学んでいるのだが、これが年紀を覚えるのに便利なのだ。先生の課題設定のおかげかもしれないが。

11000年~10000年前頃にヤギとヒツジの家畜化が始まったと考古学的に考えられている。イランやイラクなど中東は全くしらなかった私だが、定住生活がはじまったのはこの肥沃の三日月地帯らしく、興味が湧いてきた。(メディアの情報の偏りと私が調べなかったせいで正直アメリカに睨まれてる国とか、紛争地帯とかそんなイメージしかなかった。)世界の遺跡を年代順にみていくと東アナトリアのギョベクリ・テぺ遺跡というのが世界最古だと言われても忘れにくい。授業で東アナトリアでヤギの先祖という言われるベゾアールが家畜化し始めたというとい説が有力だからだ。

年紀というより、場所に興味を持つかもたないかという話になっているような気もするが、それはそれでいいことなのでよしとする。

だってではないが、この中東はユダヤ教キリスト教イスラム教が生まれた地でありそれを考えるとヤギとか気になってしまうじゃないか。近くにいたからなのかなみたいな感じ。

この授業ではよく考古学的に考えるためにミトコンドリアDNA分析というのが行わるから、よく骨が出土されるんだがちょっと考えてみて欲しい。11000年前、ホモサピエンスなら30万年前、何なら化石も残ってるということは、よくドラマで人の骨がでてきましたというシーンがあるが、案外現実でも起こりうるのかなと思った。(地面なんか歩くだけで掘らないけど)

 

土地の使い方

どうでもいいけど、日本は火葬で遺体をコンパクトにするけど、キリスト教エンバーミングして土葬するから世界の墓地面積調べたどえらいことのなるのかなと思った。(だって、誰も墓地のあとに建物立てないでしょ。調べたけど面積は出てこなかった。)財とサービスの経済的な視点から見ると有限な土地の無駄遣いと思ってしまう。(失礼ですね。)少しでも地球温暖化のために木を植え欲しいと思ってしまう。

その前に、畜産の規模の縮小が特に牛のほうが先だがね。そもそも考えてみるとおかしな話だ、牛は一度に子どもを一頭ぐらいしか生まないし、大きくなるのに時間がかかるということは餌代も水代もかかり生産性が低い。そのため、牛肉の値段は高い。しかも、牛を神と考える宗教もあるので牛は減少しにくい。ということは、先進国が牛の畜産の縮小をすべきだと思うが、アメリカやオーストラリアは輸出したいみたいで嘆かわしい話だ。あと、牛乳の消費率と加工品を見ながら乳牛の個体数も少なくしてほしい。私もそうだが牛乳が体に合わない人は日本人に多い。

土地の使い方でInstagramを見ながら危険だなと思っているのはファストファッション。化学繊維は工業でどのように作られているかあまり知らないが、少なくともファストファッションを綿で作るのはよくないだろう。GUとユニクロの流行・高見えを狙ってもシーズンや被りとか気すると全然着れないし、結局同じ服を気がちなのに買うところ。いいところはダボダボな服装だから体形が変わっても大丈夫ということか。それもそれでウエストがゴムだからダメになるし、私はこのInstagramのGU・UNIQLOを着まわしている画像を載せる人たちがトレーナーやニット・セーターのハンガーのかけ方を熟知しているとは思えない(長期的に着る気があるとは思えないし、着れない)。着ないのに作るのはコットンの無駄遣いだし、綿の栽培の面積とか考えるとそこも問題だ。森は色んな生物が住めるが、綿栽培のところでは住めない。Instagramの人の愚痴になってしまったが、ファストファッションは生産数と消費数に差があり、古着屋では新品でない限り売れないだろう。だから、土地の無駄遣いなのだ。恵まれない子や新興国に送ればいいって?それは燃料と地球温暖化とその地域の産業を破壊しかねないことも考えたほうがいい。とにかく言いたのは、ファストファッションのため綿栽培とその服の使われ方を考えて大量生産、大量消費を見直すべきだということだ。

 

以上、年紀と時代という視点と雑談でした。

 

思考源

大学の授業 社会学入門B、動物と人間の関係史

Instagramの🔍に出てくるのやつ

合理主義的に考えて買う服はワイシャツ